街のあれこれ

2023年9月26日 (火)

地元パチンコ屋の閉店に望む思い。(笑)

_s103295_blog

地元のパチンコ屋が突然閉店しました。オジサンはパチンコどころか賭け事を全くしないので、閉店しようがどうでもいいですけどね。(笑)ところが行きつけの立飲み酒場の常連さんの中にはパチンコファンが結構いるのですな。
皆さん数日前から溜まってるポイントを景品に交換してくださいって店員さんに促されたそうで「急にポイント使え使えって、店無くなるちゅうことかい」って冗談言ってたらホントだったという、まさに突然の閉店だったそう。
皆さんこれからどうするって話題で盛り上がってましたけど、興味のないオジサンは完全に外野席の人。「この際、パチンコやめたらどうっすか」って言いましたけどやめられないのでしょうなぁ。(笑)
何しろ神戸の端っこにある坂道だらけの住宅街のパチンコ屋ですから、駅前や郊外にあるパチンコ屋には遠くて行けないお年寄り客が多かったみたい。なので強気の商売をしていたそうで、常連さんいわく「全然出しよれへん」「いつ行っても客おらん」だったそう。
パチンコ屋の建ってる目抜き通りが、すでに閑散としたシャッターだらけの街ですから、高齢化、人口減少が更に追い打ちをかけたのでしょうな。で、このパチンコ屋の後に何が出来るかが今のホットな話題。(笑)
パチンコファンの皆さんは、別のパチンコ屋さんが改装して新装オープン希望って言ってましたけど、こういう住宅街にある遊技場って一度無くなると新規営業は難しいそうですな。調べてみたら「風俗営業」の「4号営業」に区分されているそうで、意味合いは「パチンコ、麻雀屋その他設備を設けて、客に射幸心をそそるおそれのある遊技をさせる営業」だそうです。
ま、早い話規制強化で、そういう店はそう簡単には許可もせえへんし、作らせへんでっていうことだそう。前の道は子どもたちの通学路ですしねぇ、潰しちゃったら二度とパチンコ屋にはならないでしょうからそのまま居抜きで存続させるしか手がないのじゃないかと。(笑)
で、酒場の常連さんの中でオジサンと同じパチンコやらない組は、潰れた跡地に餃子の王将や吉野家などの外食チェーンやミスタードーナツが出来てほしいなんて勝手なことを言っています、何しろ界隈は食べ物やさんがホント少なくてねぇ。(笑)
パチンコ屋の向かいのスーパーも品揃えの割に強気の商売、何しろそこしかお店がないのでね。郊外のお店には車が無いと行けないですから、お年寄りは選択肢がないわけで。なので目の前にわざと、競合する安売りスーパーが出来てくれれば嬉しいってのも意見で上がってました。
年寄りの多い街とはいえ昔ながらの団地の跡地に建売住宅がたくさん立って、子育て世代が増えてますし、地元密着な良いスーパーが出来れば繁盛すると思うのですけどねぇ。
パチンコ屋よりも建設的な地域活性案、さて何が出来るのでしょうか、見守りたいと思いますよ。(笑)

| | | コメント (0)

2023年9月23日 (土)

とうとう終わり、有楽名店街の思い出。

JR元町駅の地下に阪神電車の元町駅があります。その改札階の横の路地にあるのが「有楽名店街」東と西の改札を結ぶ狭い通路の両脇に酒場がズラリ並んでいるというディープスポット。
防災上の理由から阪神電車が2016年3月で閉鎖のニュースが流れて、いくつかのお店は無くなってしまったのですけど、その後も数十軒営業しているお店があったのですな。
ところがコロナによる客足減少などでこの9月末で完全閉鎖が決まったわけで、とうとうこの歓楽街も76年の歴史に幕という記事が地元新聞に載ってました。
若かりし頃ですけど、1人で飲み歩くのが楽しくなってきて、ここの東側入口にあった「寿海」という大衆酒場によく通ってました。カウンター、テーブル、座敷席のある広いお店で、仲居さんも7〜8人は居たと思います。
お一人様からグループまで全方位OK、壁にはお品書きの札がずらりと掛かっていて、なんでもあるお店でした。いつ覗いてもいっぱい、豪快な女将がだみ声で「おかえり」って居心地のいい庶民の酒場でしたな。
女将はこの商店会の会長だったので、全部のお店を知っていて、カラオケが唄いたいって言えばあのお店に、寿司が食いたいって言えばこのお店にって紹介してくれましたよ。それで教えてもらった寿司屋さんにもよく行きましたなぁ。(笑)
女将が亡くなられてだんだん足が遠のいたのですけど、一時期毎日のようにここで一杯やって帰るのが楽しみだったのを思い出しました。
オジサンが生まれる前からある歓楽街で最盛期は約120メートルの狭い通路に約50軒ものお店が軒を連ねていたそう。オジサンが通い出したころもスナックからカラオケの唄声が漏れまくって反響、天井の電飾もハデハデで賑やかでした。
この名店街、お店にはトイレが無く、通路の真ん中にあった共同トイレを使うという仕組み。女性トイレはお店で鍵を借りて行き、中から閉めるようになってましたよ、共同トイレなんて言葉ももう通じないかもしれませんなぁ。(笑)
狭い場所に酒場がギュッと密集してますから、酒飲みはココで完結できました。居酒屋で一杯やった後、スナックやバーなど何でもござれ、何軒かはしご酒するのにも便利な歓楽街でした。

L53684_blog

これで最後ってニュースを見てから、懐かしさもあって何度か通り抜けてみましたけど、ほとんどのお店はすでに閉店、扉に南京錠で施錠してましたな。
無くなった後はどうなるのかは分かりません。今どきの防災基準から行けば問題ありな空間ですから、新しくお店ができたりすることはないでしょう、お店を撤去して駅のスペースとして利用するのかもしれません。
なんだか歳を重ねると思い出の中の景色ばかり増えていきますなぁ。
※その後通ったところ、10月11日から通路を封鎖して工事予定って告知が貼ってありました。


| | | コメント (0)

2023年8月24日 (木)

呑んべ横丁の思い出。

L18995_blog

NHKの「ドキュメント72時間」という番組で「さらば、呑んべ横丁」というのを7月終わりにやってました。その時見れなかったのでしばらくして録画したのを見たのですけどね、面白かったですな。(笑)
この呑んべ横丁が8月に70年の歴史に幕を下ろすそうで、どうやら駅を中心とした広域再開発エリアなのだそう。番組はその最後を三日間密着するという内容でした。
ネットでもこれが最後ってことでお店を訪れたりしている動画やブログ、SNSがたくさん見受けられますな。無くなると分かった途端人が集まったり、惜しむ声が上がったりするのはどこでも同じって感じがします。
そういうのを見ていて以前ここで写真を撮ったことを思い出したわけで。そもそもオジサンがこの呑んべ横丁を知ったのは全くの偶然でした。
今でこそ関西でも食べられるお店や専門店が出来ている「もつ焼き・焼きとん」。東京下町のB級グルメとでもいうのでしょうか、それを食べてみたくて東京に出かけた際に、ネットでも名店と称されている葛飾区の京成立石駅すぐにある「宇ち多゛(うちだ)」に行ったのですな。残念なことにお休みだったのですけど、すぐ近くの立ち食い大衆寿司のお店「栄寿司」で寿司を堪能したのを覚えてます。(笑)
街を歩いて路地をさまようのがオジサンのカメラライフなので、京成立石なんてなかなか来る機会が無いし、カメラ片手に街を徘徊してみようと寿司屋を出た後、辺りをウロウロしてて出くわしたのが呑んべ横丁。
昭和の面影がそのまま残るディープスポットだというのは後から知りました。なので何の知識もなくその佇まいに惹かれて写真を撮ったわけで。昼間だったのでまだ開店しているお店は無かったと思います。

L19004_blog

何だか混沌とした狭い路地に、やっているのかどうかさえ分からないお店が並んでましたな。夜に訪れればネオンが灯っててやっているお店は分かるでしょうけど、あいにく昼間でしたから静かに路地をウロウロしただけでしたけどね。(笑)
青春18切符で各地をさまよって写真を撮ってた頃、その土地ごとに必ず有る歓楽街の外れには、戦後まもなくの闇市やバラックがそもそもの発祥なんてディープな酒場が軒を連ねる場所がよく見つかりましたな。観光客がまず訪れない地元密着の空気が濃い場所。
オジサンはそういう場所の佇まいが好きでたくさん写真に撮りましたよ。街歩きをしているとそういうスポットがありそうなところが何となく分かるのですな。呑んべ横丁も同じ、看板を見つけた時に、間違いないって思いましたからね。(笑)24mm広角レンズでも引き場が足りない狭い路地だったような記憶があります。
地元の神戸元町にも9月いっぱいで幕を下ろす飲み屋街があります。防災上の理由から数年前に無くなる予定だったのですけど、まだ数店残って営業中、でもとうとう終わりだそうです。
そうそう後から知ったのですけど呑んべ横丁って「こち亀」にも登場していたそうですな、それだけディープで有名なところだったのでしょうね。

| | | コメント (0)

2023年7月23日 (日)

元町駅直下の高架下の思い出。

JR元町駅から神戸駅方面にかけての高架下にあったお店を、数年前から耐震補強工事の名でどんどんどかせてリニューアルしておりますが、モトコー3区に入っていた100均ショップが閉店するそうですな。
昨年の秋に耐震補強が終わってリニューアルした直後にオープンしたはずですけど
1年経たずに撤退ですか、あの辺りはまだ一度もお店が入ってないままの貸テナントも目に付きますし、実際歩いてみても人がいませんな。神戸駅側から元町駅にかけて歩いてみましたけど、すれ違う人は数えるほどしかいませんでしたからね。

_s109640_blog

この耐震補強工事ってスムーズに進んでないのでしょうか、すんなりとお店がどいてくれなくて手こずってるのでしょうか、なんだか進められるところからやってる感がありますな。
歩いてみて思いましたけど、まだ塀で囲われたままのところがあるかと思えば、以前の面影が全くなくなるぐらい様変わりしているところもあって、ものすごく歩きづらい高架下になってます。これじゃあ人の流れも滞りますわなぁ。(笑)全てがスムーズに歩けるようになるのはまだまだ先って感じがしましたよ。
で、元町駅のホーム直下の高架下にあった「神戸ラーメン 第一旭」も6月いっぱいで移転のため閉店してしまいました。移転先が前の道路を挟んだ向かい側のビル、しかも同業の「天下一品」の隣ってどうよ。(笑)

_s109748_blog

だけどこの移転でオジサンがよく行ってた、元町高架下の飲食店は全滅、もうなんにも残ってない。
思えば若い頃からたくさんのお店にお世話になりましたよ、週3ぐらい通ってた台湾料理のお店や、宝くじ当たってお店を閉めたとかウワサがあった大衆居酒屋、ヘンコで怖い親父がやってた焼き鳥屋、ドラえもんみたいな手で握ってくれた寿司屋などなど。
前述の神戸ラーメン第一旭も飲んだ帰りによく行きましたよ、駅の高架下ですから場所が良すぎ、散々飲んで友人と別れた後に誘惑に負けてシメのラーメンを食べてしまうわけで。そうそう第一旭の隣の細い階段を上がったところにホルモン鉄板焼のバーがありましたよ。表に牛の置物がど~んと置いてありましたなぁ。(笑)
飲食店だけでなく駅直下にはパチンコ屋や本屋、服屋が後に靴の安売り店になったり、アダルトビデオ屋や調理用具のお店もあったのですけど、もう塀で囲まれて部分的に見えてるところには、高架を支えてる柱しか見えてませんな。

_s109746_blog

鉄道の高架下ですから電車を安全に走らせることが最優先なわけで、長らく手つかず&阪神淡路大震災にも遭いましたから、どこかの時点で抜本的に補強工事とリニューアルをしなくてはいけないのはよく分かります。
なのでお店が無くなったことに感傷的にはなりませんよ。さっさと高架下を出て近くに移転したお店もあるわけですから、そうせずに高架下で商売を終了したのは高齢などの事情やそれぞれのお店の判断だと思います、もし耐震補強工事がなかったとしてもどこかの時点で終わってたと思いますからね。
無くなったお店は思い出と写真で残ってます、むしろココがこの先どんなふうに変わるのかが見られるって思う方が楽しみが増えますよ。

| | | コメント (0)

2023年5月25日 (木)

最近の「孤独のグルメ」的お昼ごはん。(笑)

地元密着な生活をしていると、今まで知らなかった地元が見えてきます。勤めていた頃は寝に帰るだけの街でしたから、意外な盲点や知らなかったものがかえって新鮮だったりするわけで。
外食チェーン店が駅前の狭いエリアに思っていた以上に多いというのもそうでした。調べたところハンバーガー2軒、スタバなどカフェ系4軒、お持ち帰り専門店や弁当屋9軒、居酒屋系5軒、牛丼など食事系14軒の計34軒ってどう見ても多すぎですやん。(笑)さらに個人経営のお店もありますから、意外とお店がひしめき合ってるのを再確認しましたよ。
オジサンは出かける際にはカメラを持って出るので、用事がてら街をウォッチングして写真を撮るのが恒例の高齢者。街もお年寄りばかりが目に付く前期高齢者はまだまだ若者扱いの街。なのでファーストフードやチェーン店でもお年寄り率が高いのですな。
マクドナルドやミスタードーナツって学校帰りの学生がいっぱいいる印象、以前明石駅前のマクドナルドに入った時なんて、見渡す限りほぼ若者や高校生でしたからね。ところが地元はおじいちゃんおばあちゃんが圧倒的多数派、少子高齢化の現実をファーストフード店のガラス越しにひしひしと実感する街なのですな。(笑)
で、オジサンもそういうお店をちょくちょく利用するようになったのを以前記事にしました。ああいうお店が苦手だったのは、注文の選択肢が多すぎて訳が分からなくなって疲れるから。
お店独自の呼び名もありますしね、「木村拓哉さんがテレビで言ってるダブチって何すか?」って聞いたらダブルチーズバーガーの略って教えてくれました。阪神タイガースの田淵は知ってたのですけどね、マクドの店員さんはオジサンにも優しいですな。「そんなんも知らんと来るなや」って嘲笑いされたらトラウマになって一生ハンバーガー食べられなくなるでしょうからね。(笑)
で、印象が良くなってちょくちょくファーストフードも行くようになったのですけどね。う〜ん昼ごはんにって考えると、脂肪と塩分高めなのに野菜不足なバランスの悪い食事感がありましてですね、ちょっと力不足な「ワーストフード」かなぁと。(笑)
なので最近は街歩きをしながら、お昼ごはんのお店も探しておりますよ。なので写真を撮りに出かける時は「孤独のグルメ」主人公の井之頭五郎目線になってます。

_t316751_blog

で、路地をさまよっていると古い民家をリノベーションしたおしゃれなカフェや食堂なんぞが増えておりますな。そういうところは女性客がメインなせいでしょうか、ランチメニューは野菜多め品数多めでしかも安かったりします。
今時はラーメン一杯1,000円超えがザラですから、それよりうんと安くて栄養バランスもいい食事かと。オジサン最近そういうお店でお昼を食べるのが何だかホッとします、空間も落ち着きますしね。孤独のグルメ始まりのナレーションそのまま、最高の癒やしですよ。
なので写真撮ってるのか、お昼ごはん探してるのか分からなくなってますな。(笑)

_t316745_blog

| | | コメント (0)

2023年5月11日 (木)

アカンかってんなぁが多すぎて。(笑)

_t316514_blog

昨年秋に退院してからすぐに街歩きを再開、カメラ片手に徘徊しまくりましたけどね、ずいぶん街の景色が変わってましたな。
なにしろお店の入れ替わりが激しく記憶と現実の景色にギャップがあって「あらら、お店無くなっとるがな」ってシャッター閉まってたり、見たことのないお店になってて「なんじゃこの店、何屋さん?」なんてのが山のように。特に飲食関係のお店がものすごく入れ替わりが激しいというか、あまりにも短期間での閉店開店が多すぎてついて行けませんよ。(笑)
少し前ですか経済系サイトの記事で読んだのですけど、飲食店って経験のある無しに関係なく、お店を始める敷居は低いそうですな、だけど経営をうまく軌道に乗せるまでが実は一番大変なのだそうで、経験のある人でも難しく3年以内の廃業率70%だと出てました。見た目の華やかな感じと実際はずいぶん違うのでしょうなぁ。
廃業率70%なんて聞くと数年で街の景色が入れ替わるわけで恐ろしいですけど、ブームになって一気に人気になった食べ物って3年も人気者のままでいられませんからね、そういうブーム狙いのお店はハナから短期勝負、人気がある間に一気に儲けたら、さっさと閉店してサヨナラってスタイルなのだと思います。そんな経営戦略のお店も含めての廃業率70%なのでしょうなぁ。(笑)
そもそもブームになった食べ物ってあっという間に同じ業種のお店が、一斉にあちこちに出来るので、目に付きますし認知度は高くなります。だけど飽きられるのも早くなって結果的に短命終了、気が付けば記憶からも消えて無くなっているというのの繰り返しって感じがします。パンケーキも揚げないドーナツもタピオカドリンクもフルーツサンドもみんな記憶の彼方ですからね。(笑)
なので3年後70%方程式で行くと、最近かなり目に付くようになった、さつま芋系スイーツのお店も先々どうなのかと。ベトナム料理屋もなんだか増えてるし、ベトナムのサンドイッチのバインミー専門店も急に増えてます。そういえば元町〜三宮間に立飲み酒場も最近急増中、やたら目に付くようになりましたけど、どのお店も大丈夫ですかね?(笑)
振り返るとオジサンがウロウロする元町界隈も閉店が賑やかですよ、元町商店街に残ってた高級食パン店2軒が無くなって商店街からは全廃、横の路地に1軒だけになりましたし、わらび餅スイーツやマカロン専門店も短期間でサヨナラ。
高架下の沖縄アイス店と隣のカレーパン屋さん、元町商店街にあった魚屋の回転寿司屋さんも終了。代わりに古着屋さんが何だか増えてますな。南京町近くのスポーツジムが無くなってコーヒー屋に、この辺りカフェがやたら増えてるぞ、大丈夫か。さらにここ数年何度もお店が入れ替わってる場所には、鳴り物入りで餃子屋さんが出来てましたけど、これもさあどうでしょうか。
オジサンは開店閉店を調査しながら街歩きをしているわけではないのですけどねぇ、結果的に写真を撮ってるとそっちばかりに目が行きますなぁ。(笑)

| | | コメント (0)

2023年3月25日 (土)

遠ざかる東京写真。

街の写真を延々と飽きもせず撮り続けておりますが、そのきっかけになったのは建築物。元々古い洋風建築が好きで、震災前の神戸は実にたくさんの建物があったので撮り歩いてました。
その後洋風建築物だけでなく街で見かけた様々なものを撮るようになったわけですけど、
大好きだった写真家アジェの影響もあったと思いますね。
青春18きっぷで色々な所へ出かけては撮ってました、でもその頃は東京にまるで興味はありませんでしたな。木村伊兵衛、桑原甲子雄、荒木経惟、森山大道、大西みつぐなど東京をメインに撮る写真家の写真集はよく見ていたのですけどね。
懐かしい話ですが、当時自分の写真と文章で発行していた手作りのミニコミ誌が、某新聞社系雑誌の公募に応募したところ入賞してしまったのですな。授賞式は幕張メッセだったのでそれが初めての東京。
当時の記録を見ると「駒形どぜう」でどじょう鍋食べてましたな、これも初めて。(笑)

L09151_blog

その時は浅草に宿をとってウロウロ撮り歩いてましたよ、だけどそれで味を占めたわけでなかったようで。
次に訪れたのは数年後、赤線の建築物に興味を持ってのことでした。
赤線(あかせん)とは1946年にGHQ(連合軍総司令部)の命令で公娼が廃止されたあと、従来の遊廓地帯と私娼街を特殊飲食店街として営業を黙認した地域のこと、この特飲街指定地域を赤線区域、赤線地帯など呼んでたわけで。
表向きはカフェーやダンスホールという形態だったようですが、そういう地域を歩き回り、街のたずまいを詳しくレポートしたある本で知って、見てみたくなったのですな。
本を参考にして吉原(千束)、洲崎(東陽)、千住、立石、鳩の街(東向島)、玉の井(墨田)などを歩きました。当時読んでた永井荷風の小説の影響もあったと思いますね。(笑)

L18956_blog

その頃ですでに40~50年以上経過した建物ですから、もはや残っていない場所もありましたけど、そこにたどり着くまでの下町の風情だとか、たたずまいなどをずいぶん撮りまくりました。
で、思ったのですけど、前述した写真家の方々が東京で撮った作品は素晴らしいのですけど、東京だから成り立つと言いますか、正直言ってどこでどう撮っても絵になる街だなって、実際自分の足で撮り歩いてみてよく分かりました。
何しろ山手線のどの駅で降りても、神戸で一番にぎやかな三宮よりも街が大きく人も多いわけで、街としての密度がそのまま写真の撮れ高に現れているなと思いましたよ。
写真家の先生方が名作を生み出す原動力って、東京という街の密度も関係していると思いましたな。写真&カメラ好きな方のブログ、noteなどを見ていても「これ東京だから撮れたよな」って思う写真がたくさんありますからねぇ。(笑)

L17199_blog

その後何度か東京に出かけて撮ってました。だけどどんどんフェードアウト、カメラを向ければとりあえず絵になる街に興味を失ったのですな。なので用事で東京に行ってもほとんど写真撮って無い。
調べると2015年に家内がどうしても行きたい美術館があるというのでお供して行ったのが最後。だけど撮った写真を見てみるとホテルの窓から撮った東京スカイツリーと、ご飯食べに行ったお店の写真だけでしたよ。(笑)

| | | コメント (0)

2023年2月18日 (土)

地元の今昔を、写真で残そ。

_t316386_blog

昔撮った地元の写真を、きちんと所在と言いますか撮った場所が分かるように、整理をして行こうと思い立って見直しているのですけどね、その際に活躍するのが「ゼンリン、スターマップ」という緑色表紙の住宅地図。地元の区を網羅しているのを持ってるのですな。
今でも「ゼンリン住宅地図」と言う商品名で販売されてるみたい。これのスゴイのは一軒一軒、一戸一戸の建物の名前や居住者名、番地を詳しく表示してくれているところ。その昔、営業マンが道路マップと一緒に車に放り込んでたりしてましたな。
持ってるのは1994年度版ですから29年前、次の年に阪神淡路大震災が起こりましたから震災前の街の様子を知る貴重な手がかりでもありますよ。
まだ明石海峡大橋も工事中でしたし、それに伴って駅前の古い市場や商店街が整備消滅、漁港が埋め立てられてヨットハーバーやアウトレットモールが出来る前の地図なわけで。無くなった市場や住宅の様子がはっきり記載されてますな、これを見てると古い記憶が蘇りますよ。
ところが当時オジサンが撮ってた地元の写真を見ると、どこで撮ったものなのか分からないモノがあるのですな。記憶力の衰えと言うより、景色が様変わりしすぎて前の様子が蘇ってこないほど変わってしまっているわけで。
オジサンその頃はすでにリバーサルフィルムしか使ってなかったので、マウント仕上げをしたのに番号を明記しカットごとの撮影記録を付けてましたけど、それを見てみると町名などをちゃんと書かずに「〇〇の西側路地」なんてざっくりした書き方してたのが今になって分からないという。
なので写真をルーペで見て、遠くに写っている建物や看板から想像したりして、どこでカメラを構えてたのか調べるのにこの地図帳が大活躍しているのですな。お店の屋号だけでなく、長屋の残る界隈で撮ったものなど、写り込んでいる表札から番地が特定できたりするので、この地図帳が無かったらとても調べがつかなかったと思う場面多数でした。
さらに昨年から地元は再開発で震災を耐えたけど老朽化している場所などが消えて行っていますから、もっと分からなくなる前に今までの写真の所在を明らかにしておきたいのですな。さらに高層マンションや学校に病院など景色を遮る高い建物が立つ予定がありますから、景観が様変わりすることは避けられません。
今見えている街並みがすっかりお隠れになってしまうことを、役所の出してる完成予想図を見て想像して今の内に撮り歩く必要もあるかと思ってますよ。
神戸市のベッドタウンとして拓けた地元ですけど至るところに空き家が目立ち、老朽化で取り壊された団地跡地には、今風のおしゃれな建売住宅が並ぶ街になってます。
昭和の面影がどんどん無くなる前に撮りませんとね。

| | | コメント (0)

2023年1月10日 (火)

バスで巡る地元旅。

_s105266_blog

なんで暖かかった11月に行かんかってんって、文句言いながら12月の年末ギリギリ、寒さマックスのある日、家内とバスに乗りに行ってきました。
実はコレ昨年5月から10月まで発売されてた「観光周遊パスとバス1日乗車券を半額販売!『ぐるり旅KOBE』キャンペーン」のチケット。バスと観光地の施設の両方で使えるのと、バスチケットだけの2種類あって当然後者のバスチケットだけのやつ、Kobe 1-day loop bus ticket って名前で1枚350円なり。
どうやらお出かけ用に家内が買っていたみたいなのですけど、オジサンの入院やらで使う機会が延び延びになってギリギリになってしまったわけで。使用期限が12月31日までで、シティーループ、ポートループ、神姫バスの路線バス(山手線・神戸空港線を含む神戸中心エリアを運行する路線バス)に1日乗り放題の乗車券となっています。
目的はポートループって連節バスに乗ってウォーターフロント辺りに行きたかったのですな。連節バスって早いハナシ2両編成になってる長〜いバスで1両目と2両目が蛇腹で繋がっているのですな。ま、話のネタに一度乗っておこうかと。(笑)

_s105314_blog

で、神戸港って地図で見ると一目瞭然なのですけど、ポートタワーやオリエンタルホテルがあるのが中突堤。その隣にメリケンパークがあって、その東側に第1突堤から第4突堤まで並んでいます。
ヨントツ(第4突堤)は豪華客船や大型クルーズ船が入港するポートターミナル、クイーンエリザベス号が来るとこね、上海との定期航路もここです。サントツ(第3突堤)はフェリーターミナル、宮崎や高松に行くやつね。
「神戸みなと温泉 蓮」があるのが第1突堤、その山側には「アトア」って水族館と「フェリシモ」の新社屋、神戸ポートミュージアム 展望デッキがあります。
で、今は更地になっている第2突堤を含むこの辺りが、ただ今鋭意開発中の神戸ウォーターフロント、第2突堤には2024年完成の予定で「神戸アリーナ」って施設ができます。つまりこの辺りを神戸の新しい観光スポットにしようってことですな。(笑)
この辺りは散歩がてら行くにはちょっと遠いですし、まだこれからの空き家倉庫と更地の状態も見ておきたくてお出かけしたわけで。ハーバーランドからポートループに乗ればすぐ、新港町で降りて辺りをウロウロ。

L52540_blog

夏に開催されていた神戸市民参加型アートイベント「Inside Out Project」のポートレートが住友倉庫にまだ残ってましたな。その山側にはBMWとフェラーリ、カーディーラーってガラス張りのショールームで外から丸見えなのが普通ですけど、止まってる車が違いますな。真っ赤っかのフェラーリですからね、ミニカーやプラモでしか見たことない車の実車がフツーに停まってます。
「アトア」って水族館は入館料大人2,400円とお高いので入らず1階のミュージアムショップだけ見てきました。新しく出来たこの手の施設ってチケット高いですなぁ、ジジイ割引もありませんし。(笑)
その手前にあるフードコートで昼ごはんの後、ここからまたポートループに乗って三宮へ、そこでシティーループって小型の観光地巡りのバスに乗り換えて、神戸っ子がまず行かない(オイオイ)北野町異人館通りへ。クリスマスの装飾がやりすぎ感がありましたし、正直言って狭い坂道と階段ばかりの観光地、還暦過ぎて家内と異人館巡りもねぇ。

_s105530_blog

なのでとっとと坂道を下って北野坂のにしむら珈琲に行きました、震災前は日本初の会員制喫茶店で著名人が訪れていた喫茶店、高いけど確かにくつろげるわ。(笑)で、またシティーループで新神戸方面から三宮に戻って本日終了。元町まで歩いて行きつけの酒場でおでんで一杯やりました。
改めて地元を観光客目線でウロウロ、新鮮でしたけど観光じゃなかったら絶対行かないよなって所もありましたなぁ。あなたの住んでる街で地元民が絶対行かない観光スポットってありますか。(笑)

| | | コメント (4)

2023年1月 3日 (火)

今年の抱負は…って写真撮りますけどね。(笑)

L24256_blog

年の初めって、抱負と言いますか今年はこんな一年にしたいなんて、曲がりなりにも思うわけですけどね、その通りになった試しがありませんな。そもそも抱負なんてのは、ひと月もすれば忘れてしまってたりしますからね。(笑)
ま、年齢とともにアレもしたい、コレもしたいなんてのが無くなって、ただただ健康で無事過ごせたらってのが上位にランキングします、健康だったら何でも出来ますからね。
オジサンも昨年脚を手術したおかげで行動範囲が広がりました、歩き回れるって、そのまま写真が撮り歩けるってことですからね、なので今年はじゃんじゃんレンズを使いまくってガンガン撮りますよ。(笑)
で、神戸市って今どんどん景色が変わっているのですな。なのでこれを撮らない手はありません、三宮界隈なんてどこもかしこも工事だらけ。
検索してみると官民で取り組むプロジェクト「都心・三宮再整備」ってのがあって「30年後までに約150棟のビルを建て替え、新たな都市空間を創造する。」そうで、震災復興でお金が無くなってたのも、どうにかなったみたいですな、株式会社神戸市ですからね。(笑)
オジサンの地元も駅前周辺でたくさんの工事が進んでます。すでに完成したのも含めるとなんと9つもありましたな。事業計画によると2025年にすべて完成するみたい。
オジサンの両親も含め、神戸市のベッドタウンとして拓けた頃に住居を構えた世代はすでに80〜90代ですから、その頃の建物は老朽化してたり、バリアフリーじゃなくて今の時代に合わなくなっているわけで。震災で補強が必要になったり、コロナ禍で生活様式が変わったのも大きかったかと。
そういえば地元にあった老舗の「舞子ホテル」も昨年9月に無くなりましたよ。1919年(大正8年)に建てられた船会社の迎賓館兼別荘の立派な建物だったのですけどねぇ、経営難でマンション会社に売却されたら
あっさり取り壊されてしまいましたな、跡地に10階建マンションが建つそうです。
たとえ歴史的価値があり、残すに値する建物であっても、今の御時世あっという間に更地になりますからね。これを止めることは出来ませんから、写真とカメラ好きのオジサンとしては
景色が変わる前に撮る、これに尽きるかと。
お店の閉店開店のサイクルもコロナ禍後は目まぐるしくなっているような気がします。撮っておかないと何があった場所なのか思い出せませんからね、街の移り変わりのスピードに負けないように撮らなくてはいけません。
記録は写真の原点だと思っているオジサンにとって、今年はなんだか忙しくなりそうな予感がしますな。(笑)

| | | コメント (2)

より以前の記事一覧