母の死に思ったこと。
すみませんねぇ、いきなり重たそうなタイトルで。中身はそうじゃないですからご心配なく。暗くて重苦しいのなんてオジサンがまっさきにお断りですからね。(笑)
長年勤めていた会社を定年退職後、悪かった足を治したらどこか働き口を見つけようと計画していたのですけど、そこに立ちはだかったのが親の介護。自分の親のみならず家内の両親も含めて同時多発的に介護が発生したわけで。なにしろ全員後期高齢者ですからね。(笑)
その頃入退院を繰り返していた母親は面会したくてもコロナ禍でできず、かろうじて面会可能だった介護施設に入ってもらったのですけど、それが不満だったらしく「こんな所に入れやがって、帰らせろ」と父親に悪態をつきまくっていたみたい。(笑)大阪出身のオバちゃんですからそれぐらいは言うだろうとは思ってましたけどね。
結局父親が折れて自宅で在宅介護をすることになりました。で、家族の中で一番手が空いていると言うか、退職してプータローだったオジサンがガチで見るしか無いなと腹をくくったわけで。(笑)
在宅医療のお医者さんや在宅介護士が来ない日はオジサンが面倒を見ていたのですけど、思えば貴重な体験だったかもしれません、介護士の方から家族による介護のテクニックを色々教えてもらえましたからね。
歩行器を使って自立歩行ができていた内はまだ良かったのですけど、徐々に衰えてきて車椅子での移動になって、ベッドからの乗り降りで抱え上げた時小さく軽くなっていくオカンを実感しましたよ。
その後さらに衰えて緊急入院、医療支援や措置が必要になり、もはや在宅での介護が不可能になって、その辺りが充実した施設へ入ってもらうことになってしまったのですな。「家に帰らせろ」ってさんざん文句言われましたけど、体の事情を考えるとこれしか手がなかったわけで。
面会はOKだったので施設の母親と実家の父親を見るために行ったり来たりしてましたな。正直言って大変だったのですけど、カメラはいつも持ってて合間に写真はしっかり撮ってました。
オカンに「アホか、この親不孝モン」って叱られたかもしれませんが写真は止めなかったわけで。じゃないと介護でこっちがへたばってしまいかねませんでしたからね。(笑)
母親は長年持病を抱えていたので健康状態に浮き沈みがあったのですけど、徐々にフェードアウトに向かっているのは分かりましたよ。2月に母親が亡くなった時、悲しさはありませんでしたな。むしろやっと長年の苦しさから開放されて良かったねと声をかけました。
通夜と葬儀の日は両日とも快晴で季節外れの暖かな日でした。自分のことより周りを気遣う人でしたから、来てくださる方が寒くないようにオカンが暖かな晴れにしたのかもしれません。そんな人に産み育ててもらったことを今噛みしめていますよ。
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