遠ざかる東京写真。
街の写真を延々と飽きもせず撮り続けておりますが、そのきっかけになったのは建築物。元々古い洋風建築が好きで、震災前の神戸は実にたくさんの建物があったので撮り歩いてました。
その後洋風建築物だけでなく街で見かけた様々なものを撮るようになったわけですけど、大好きだった写真家アジェの影響もあったと思いますね。
青春18きっぷで色々な所へ出かけては撮ってました、でもその頃は東京にまるで興味はありませんでしたな。木村伊兵衛、桑原甲子雄、荒木経惟、森山大道、大西みつぐなど東京をメインに撮る写真家の写真集はよく見ていたのですけどね。
懐かしい話ですが、当時自分の写真と文章で発行していた手作りのミニコミ誌が、某新聞社系雑誌の公募に応募したところ入賞してしまったのですな。授賞式は幕張メッセだったのでそれが初めての東京。当時の記録を見ると「駒形どぜう」でどじょう鍋食べてましたな、これも初めて。(笑)
その時は浅草に宿をとってウロウロ撮り歩いてましたよ、だけどそれで味を占めたわけでなかったようで。
次に訪れたのは数年後、赤線の建築物に興味を持ってのことでした。赤線(あかせん)とは1946年にGHQ(連合軍総司令部)の命令で公娼が廃止されたあと、従来の遊廓地帯と私娼街を特殊飲食店街として営業を黙認した地域のこと、この特飲街指定地域を赤線区域、赤線地帯など呼んでたわけで。
表向きはカフェーやダンスホールという形態だったようですが、そういう地域を歩き回り、街のたずまいを詳しくレポートしたある本で知って、見てみたくなったのですな。
本を参考にして吉原(千束)、洲崎(東陽)、千住、立石、鳩の街(東向島)、玉の井(墨田)などを歩きました。当時読んでた永井荷風の小説の影響もあったと思いますね。(笑)
その頃ですでに40~50年以上経過した建物ですから、もはや残っていない場所もありましたけど、そこにたどり着くまでの下町の風情だとか、たたずまいなどをずいぶん撮りまくりました。
で、思ったのですけど、前述した写真家の方々が東京で撮った作品は素晴らしいのですけど、東京だから成り立つと言いますか、正直言ってどこでどう撮っても絵になる街だなって、実際自分の足で撮り歩いてみてよく分かりました。
何しろ山手線のどの駅で降りても、神戸で一番にぎやかな三宮よりも街が大きく人も多いわけで、街としての密度がそのまま写真の撮れ高に現れているなと思いましたよ。
写真家の先生方が名作を生み出す原動力って、東京という街の密度も関係していると思いましたな。写真&カメラ好きな方のブログ、noteなどを見ていても「これ東京だから撮れたよな」って思う写真がたくさんありますからねぇ。(笑)
その後何度か東京に出かけて撮ってました。だけどどんどんフェードアウト、カメラを向ければとりあえず絵になる街に興味を失ったのですな。なので用事で東京に行ってもほとんど写真撮って無い。
調べると2015年に家内がどうしても行きたい美術館があるというのでお供して行ったのが最後。だけど撮った写真を見てみるとホテルの窓から撮った東京スカイツリーと、ご飯食べに行ったお店の写真だけでしたよ。(笑)
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