こんな仕事をやってました。
今までやってきた仕事の事をネタに、記事を書いて見たら面白いんじゃ無いかって思ったので、忘れないうちに振り返ってみようかと。気がつけば33年間、勤めだした頃は、こんなに長く同じ職場で働くなんて思ってもなかったですな。5年ぐらいで転職って考えてましたからね。
続いたのは色々な縁や運があったからかと。で、カメラと写真がメインのブログですのでね、その辺りにまつわる仕事の思い出なんぞを。(笑)
勤めてたのは印刷会社で、グラフィックデザイナーを20年、カメラマンを13年やりました。デザイナーから写真方面って森山大道さんと同じ。(笑)大阪の小さなデザイン会社を転々とした後で入社したのですけど、給料はまともだし、福利厚生も完備されてるのに驚きましたな。っていうかそれが当たり前の普通なのですけどね。(笑)
その頃の小さなデザイン会社って、3〜5人ぐらいで、いつかビッグな仕事をやってやるって、志だけで頑張ってるような所が多かったので、給料は安い、就労規則はあって無いようなもん、有給休暇は言葉だけ、昼飯食いに行っても怒られましたからね。「まだ一人前ちゃうのに、なんで飯食うん」って。毎日終電、徹夜もちょくちょくな生活で荒んでました。「このままでは死んでまう」って転職したわけで。(笑)
従業員100人越えの会社なんて初めて、最初は顔と名前を覚えるのが大変でした。デザインだけやってる会社と違って印刷会社でしたから、受注から出来上がった印刷物の納品まで、全ての工程を間近に見られたのは勉強になりましたな。
仕事は量販店のチラシをメインにしつつ、色々な印刷物をデザインしたりイラストを描いたり。ちょうどデジタルカメラが出てきだした頃で、外注スタジオに出す時間の無い撮影を、部屋の片隅で見よう見まねでやってましたよ。履歴書に趣味は写真って書いたし、いつもカバンにカメラを放り込んでたからだと思いますけどね。(笑)
その頃使っていたデジカメは、富士フィルムとニコンが共同開発した「FUJIX DS-505A(ニコンの型番はE2)」ってデジタル一眼レフ。たったの130万画素で記録メディアは「PCカード」という名刺ぐらいの大きさのメモリーカードでした。その次が「ニコンD1」、これはいいカメラでしたね。借りて帰って休日にテスト撮影してましたな。
その後、会社がフォトスタジオを設立、そこを任される事に。そこでカメラをキヤノンにチェンジ、出たばかりの「EOS 5D MarkII」。プロカメラマンも2名入っていたので、オジサンはもっぱら管理職と商品撮影や取材撮影をしてました。
量販店のチラシや宅配カタログに載る料理の写真がメインだったので、厨房完備、フードスタイリストもいる、いわゆるキッチンスタジオだったのですな。
ま、色んなものを撮りましたよ。仕事をさせていただいた食品メーカーさんのHPに、オジサンの撮った写真が出てくると、使っていただけてるんだなって、ちょっと嬉しかったりします。南京町のあるお店は、料理写真のでかいバナーが今でもかかってますな。(笑)
印象に残ってるのは取材系、鉱山の真っ暗なトンネルの中で撮ったり、企業トップのお仕事1日密着とか、揺れまくる漁船の上からとか、牧場で牛にお尻かじられながら撮ったりなんてのもありましたな。
仕事ですからどんな状況であれ、写真に収めない事にはどうにもなりませんからね、瞬時の状況判断と臨機応変さが求められます、でも慣れてくるとそういう緊張感が楽しかったりしましたよ。(笑)
で、仕事で散々撮っておきながら、休日は別次元、自分の好きな写真とカメラの時間。興味のおもむくまま、カメラ片手に街を徘徊。仕事じゃないので責任も義務も無いですからね、自由でゆる〜いシャシカツ(写真活動)を楽しんでたわけで。
思えばいつもカメラと写真にまみれてましたな、飽きる事がないのでね。ただし、もうお仕事写真は撮りませんけど。(笑)
仕事の写真は無いですけど、泊まり取材の時に撮った「蒜山高原」の写真が出てきました。その仕事の撮影予定には無かったのですけどね、せっかくこんないい所に来たのだからと、夜中の3時に起きて星空と明け方の朝もやを撮ってましたな。いい写真が撮れそうって思ったら、とりあえず押さえておくのは当然ですからね、想定外の写真に喜んでいただけたりしましたな。(笑)
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