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2021年4月 6日 (火)

卒業よもやま話。

おぼろげな記憶ですけど、小学校の卒業式は、その当時マンモス校なんて呼ばれてた、生徒数が非常に多い学校だったので、校長先生から卒業証書をもらう順番が回ってくるのに、すごい時間がかかった覚えがあります。卒業式を行った講堂も、生徒と親たちだけでいっぱいという有様。
何しろ時代は高度成長期、住んでいたのが、当時神戸市の最初のベッドタウンとして開けた街だったので、人口増加も半端じゃなかったのですな。あちこちに団地や社宅が立ち並んでいった時代。
そんな街ですから、元々ある学校は、新入生が入学してくるたびに、生徒数が膨れ上がり、あげく教室が足りなくなって、運動場を削って急場しのぎのプレハブ校舎が立ち並んでました。夏は暑く、冬は寒いひどい教室でしたよ。(笑)
ま、ガッサリ卒業しても、その何日か後には、それより多い新入生が入学してくるのですから、人数が減らないまさしくマンモス校。(笑)なので卒業式も、あまりにも生徒数が多すぎて、流れ作業のセレモニーみたいで印象が薄かったのかもしれません。
ただ後でもらった紅白饅頭は、なぜかハッキリ覚えてますよ、「祝」の文字と校章の焼印が押されたものでした。母親が赤飯を作ってくれていたのも覚えてます。これは中学校の卒業式でも同じでしたな。
神戸市の一部の学校では、洋菓子の街のアピールもあってか、紅白饅頭の代わりにスイーツを配る所もあるそうで、以前新聞で見たことがあります。
高校はツッパリ君だらけの、世間の高校生より少しばかり血の気が多いと言いますか、やんちゃな生徒が集まる工業高校だったので、卒業式に親が来るなんてのは、決して級友に見られてはいけないことでしたな。
何しろ早く大人に見られたくて、ツッパってるようなのばかりでしたから、高校生にもなって親が付いてくるなんてのは、あってはならないことだったわけで。特に母親に来られたらもうアウト、友人に間違いなく、からかわれますからね。(笑)
ところが一番やんちゃだった友人、卒業式当日、めかしこんだ母親さっそうと登場。「オカン来んなや、ゆうたやんけ!」「そんなもん、お母はんの勝手じゃボケ!」いきなり親子喧嘩、やんちゃな友人を生んだ人ですからね、ひるみもしなければ、ビクともしませんでしたな。みんなで爆笑しましたよ。
工業高校でしたから、卒業後は社会に出るものがほとんどでしたけど、不思議なもので、卒業も危ういぐらいやんちゃだった奴の方が、その後が立派だったりしましたな、会社の偉いさんになった奴、自分で会社を興した奴などなど、結局子供から早く卒業したかったのだと思います。
人生最後の卒業式、帰るとやっぱり赤飯がありました、手作りではなかったですけどね。(笑)

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