食育ではなく「食逝く」
仕事柄、お昼休みは不規則で、普通の会社の昼休みの時間に比べて大幅にずれておりますのでね、お昼ご飯を食べに出ても、お店の昼休みの時間帯になっていて、やっている店が少ないのですな。なので極力お弁当を持参しておりますよ。
持っていけないときは仕方が無いので、いつでも開いている外食チェーン店を利用することが多くなってしまいますが、安い、早い、でもそれなり。
安くて便利なのはわかりますが、食事としてみたとき何か悲しいものを感じてしまいますな。食べ物としてのオーラがないというか、工業製品のようで、かき込みながらも食事をしている感じがしない。取りあえず短時間で空腹を満たして仕事に戻るためのお店って感じなのでありますよ。
不況のこのご時世、安く食べられるのはオサイフに優しくていいのかもしれませんが、食事は毎日のことですし、健康のこともあるし、何だか食べながら一番大切なことを、ないがしろにしている感がどうしても付きまとってしまうのはなぜなのでしょうか。
昼の時間を大幅にずれていることもあって、お年寄りのお客さんも結構入っているのを見かけますな、持ち帰りをする人も結構いらっしゃる、家で作るよりも便利だからなのでしょうな。一人暮らしだったりすると、一人前作るのは確かに手間がかかりますからね。
朝、外食チェーン店の前を通ると結構人が入っていますね、朝定食を仕事前にかき込んでいるサラリーマンの姿がガラス越しに見えますが、確かに朝ご飯をお家できちんと食べてくるのも、時間が無い朝にはなかなか難しいのでしょう、朝ご飯抜きで仕事することを思えば、外食チェーンででもきちんと何か食べた方がいいのは分かりますが、毎日だとちょっとどうかと思ってしまうわけで。
外食チェーン店もしのぎを削っている時代、より便利により安くいろいろ企業努力してくれているのは分かりますが、食べ物としてこれでいいのかという気がしてしまいます。
こういうお店がどんどん便利になっていくと、家庭でご飯作らなくなって、そのうち台所には電子レンジしかないような時代が来るのかもしれませんなんて、笑い話にもならないですな。
食育という言葉がありますが、最近は「食逝く」に見えてしまいますよ。
こういう大衆食堂が街中にもっと復活してほしいと思いますね。一番旨いし、ちゃんと台所で作ってるし、オバちゃんはステキだし。(笑)
| 固定リンク | 0
「 食べる、飲む」カテゴリの記事
- JICA(国際協力機構)のランチで東アフリカを学ぶ。(2024.10.26)
- 染みついた、やめられない食べ方の癖。(笑)(2024.11.19)
コメント