そして誰もいなくなった

アガサ・クリスティーの推理小説からいただいて「そして誰もいなくなった」などというタイトルを付けましたが、要するに誰もいなくなった廃墟ネタです。
別に廃墟マニアとか特別好きというわけではありませんが、廃墟というのは見つけるとなぜか写真に撮ってしまうアイテムですな。そそるというか、その朽ち果て方に何だか引きつけられるものがあります。人の気配が無くなった途端に、土に還るというか、自然に還ろうとする姿、自然との同化感を醸し出しながら、まだ建物でもあるという不安定さがそこにはあるわけで。
団地など集合住宅には集合住宅なりの、工場には工場なりの風化の仕方があって、一概に廃墟とひとことでかたずけてしまうにはもったいないぐらい朽ち果て具合に個性があります。

下町の片隅で放置された長屋など、建て増し部分の継ぎ目には必ず雑草が吹き出して、ばらばらになる前に一花咲かせていたりするし、お店だとショーウインドーごしに、いかにもあわてて夜逃げしました的散らかり具合が見えたり。
バブルがはじけた頃は、建築途中で当初の計画が狂って放置されてしまい、結局日の目を見ないままに廃墟になってしまったような物件も結構あったみたいですな。建築資材や足場がすぐにでも工事にかかれそうな状態で放置されていながら、これはもう立派な廃墟ってやつ。
建物として完成することなく、一度も使われることもないまますでに廃墟という、廃墟分類の上からいけば、ある種異端児なのであります。
廃墟は被写体としてそそるものがあると書きましたが、写真家の中にも廃墟を撮っている人は多いですな。いずれも街や都市、建築物にこだわりをもっている写真家ばかり。
結局廃墟に目がいくというのは、それが廃墟になるまでの歴史というか、時間に対してのモロモロがそこから見え隠れするからだと思うのですよ。
ある日それまでなにもなかった場所に建物が建ち始め、それが使われ、周りの景色となじんで年数を重ねて、その役目が終わると廃墟になって取り壊される。
通りかかった私はその朽ち果て方にそそられ写真に撮るのですが、写真は現在しか写すことができないとわかっていながら、なぜか廃墟にはそれまでの時間も写るような気がして思わずカメラを向けてしまうわけなのです。

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