色街のかけら1
以前、書店でたまたま手にとった本がきっかけで、遊郭建築というものを知り、建築物好きとしては、訪れてみたくなって撮り歩いたことがある。
本の名前はそのものズバリ「赤線跡を歩く」。
赤線とは何かというと、江戸期以降「遊郭」と呼ばれる売春を許可する地域があった。貧しさで身売りした女性が働いていたという。
昭和21年、占領軍(GHQ)の命令により公娼制度は廃止、人身売買は禁止された。日本政府は既存の公娼地域のみ営業を認めるという措置をとり、それまでの遊郭は特殊喫茶として「カフェー」の名目で営業を再会、取り締まりをしていた警察当局の都合で、元遊郭地帯を地図上に赤線で囲い、それ以外の売春地帯を青線で囲って区分、それ以後「赤線」「青線」が俗称となる。昭和33年の売春防止法施行により全廃するまでこの色街は続いたという。
前述の「赤線跡を歩く」は全国に残るその当時の建築物を訪ねた本であるが、随所に装飾の施された当時の建物がその後アパートや旅館、一般住宅としてひっそり生き残っている姿を見ることができる貴重な本である。
この本をガイドにして、歩いてみたがさすがに年月が経って何も残っていない場所もあった。建物の老朽化を考えれば当然なのだが、歴史に埋もれた色街のかけらは確かに感じられたのである。
本の名前はそのものズバリ「赤線跡を歩く」。
赤線とは何かというと、江戸期以降「遊郭」と呼ばれる売春を許可する地域があった。貧しさで身売りした女性が働いていたという。
昭和21年、占領軍(GHQ)の命令により公娼制度は廃止、人身売買は禁止された。日本政府は既存の公娼地域のみ営業を認めるという措置をとり、それまでの遊郭は特殊喫茶として「カフェー」の名目で営業を再会、取り締まりをしていた警察当局の都合で、元遊郭地帯を地図上に赤線で囲い、それ以外の売春地帯を青線で囲って区分、それ以後「赤線」「青線」が俗称となる。昭和33年の売春防止法施行により全廃するまでこの色街は続いたという。
前述の「赤線跡を歩く」は全国に残るその当時の建築物を訪ねた本であるが、随所に装飾の施された当時の建物がその後アパートや旅館、一般住宅としてひっそり生き残っている姿を見ることができる貴重な本である。
この本をガイドにして、歩いてみたがさすがに年月が経って何も残っていない場所もあった。建物の老朽化を考えれば当然なのだが、歴史に埋もれた色街のかけらは確かに感じられたのである。
| 固定リンク | 0
「 街のあれこれ」カテゴリの記事
- 神戸の人口150万人割れって、どこ行ったん?(笑)(2023.11.07)
- ダクト&煙突マニア。(笑)(2023.11.11)
- 地元パチンコ屋の閉店に望む思い。(笑)(2023.09.26)
- とうとう終わり、有楽名店街の思い出。(2023.09.23)
コメント