楽しい看板探偵団
街歩きは看板との出会いだといってもいい。とにかくありとあらゆる看板が、背おわされたメッセージを発しながら、これでもかと立ち並ぶ。ウルサイぐらい饒舌に今を語るものもあれば、その役目を終えたにもかかわらず、置き去りにされたままのものもある。
特に看板にだけ注意をしながら、街歩きをしているわけではないのだが、こちらのアンテナにピピっとくるような素敵な看板に出会うと思わずカメラを向けてしまうのだ。
この感覚は私だけではない、街を撮る写真家はたくさんいるが、その人たちの写真集などを見ると、明らかに看板に注目して撮影したと思われる写真が数多く見られる。
ひょっとすると撮影するときはあまり気がついていなくて、仕上がった写真を見て始めて、おもいのほか看板が自己主張していることに気がつくのかも知れない。
撮影中、街の景と一体化し、ファインダー越しに見ている看板の印象と、それが一枚の平面という写真になって仕上がってきて客観的に見るときとでは違う印象を感じるときがある、この感覚は看板の写真に限ったことではないのだが。
看板というのは何か引きつける魅力なあるものなのかも知れない、確かに通行人を引きつけるという役目が一番にあるので当たり前のことなのだが、そういう正当な魅力とは違って、デザインの魅力で看板にひかれるというのも看板に対するひとつのアプローチだと思う。
デザインだけでなくその内容に魅力を感じる場合もあるだろう。たとえば古い写真の片隅に偶然写り込んだ看板がその時代背景を語る場合などである。
近代史などの歴史を研究している人には古い写真はその時代を証言する貴重な資料だし、その中に写り込む看板は大きな手がかりになるだろうと思う。
日本の写真家の中で、街の写真を一番素晴らしく撮る人だと私が勝手に思っている桑原甲子雄氏の写真集「東京昭和十一年」(晶文社刊)を見ると看板がいかに街を彩り、時代を写す重要なアイテムであるかがよく分かる。
演芸場の前には大きく「我らの笑王エノケン」の文字が踊り、食堂にはラーメンではなく「支那ソバ」という具合に、戦前の日本の様子が看板の文字から読みとれる。
この時代を生きてきた人ならこれらを見て懐かしさを感じるのかも知れないが、私のように全く知らないものには写真に写り込んだ看板の発するメッセージにかえって新鮮さとメディアとしての役割の大きさを感じ驚いてしまう、テレビなど無かった時代、街の看板は大衆に物事を知らしめる重要なものだったのだろう。
看板が重要なアイテムとして登場してくる映画を思い出した。「ブレードランナー」である。近未来が舞台のSF映画なのだが、もはや民族や人種の壁が崩壊してしまった退廃的で混沌とした未来都市を演出するのに企業の電飾看板が使われていた。
「コカコーラ」はお約束として、ゲイシャガールが口に薬を放り込む「強力わかもと」の不気味な看板、最後のビル屋上での決闘シーンを照らし出す「TDK」の光る看板文字。
この映画で設定されている未来にこれらの企業が残っているかどうかはわからないが、実際の企業の看板があるおかげでこの映画のリアリティーが一気に増したと感じた。
この映画の舞台設定を大好きな工業デザイナー、シド・ミード氏が担当したこともあって、映画のストーリーよりも未来都市のディテールに興味を持って何度も見た覚えがある。
そういえば映画「バック トゥ ザ ヒューチャー」の何作目だったが忘れたが未来編のものにも看板がでてきていた。確か立体映像を使った飛び出す看板だったと思う。未来にはこのような看板も現実に登場するのかもしれない。
そういう業種だとはいえ、すべてタイルで出来た看板はスゴイ、これはもはや芸術。
看板のリアリティーということでもうひとつ。博物館なんかによく置いてある「昔の暮らし」を再現したジオラマなどにでてくる看板も、きちんと作り込んであるところほど内容もしっかりしているような気がする。
どうせ子供しか見に来ないだろうと、いい加減な作り方や、安っぽいマネキン(なぜか外人マネキンだったりする)に当時の格好をさせて展示してあるところはそれなりの内容だ。時代を再現するのに看板をないがしろにしているとリアリティーは生まれない、時代を写す重要なアイテムなのである。
私は看板を写真に撮るが、看板をコレクションしている人もいるそうだ。「えっ、あんな大きなものを」と驚くかも知れないがそうではない、以前はよく商店や民家の壁にぶら下がっていた、小さなブリキやホーロー製の看板である。
「オロナミンC」や「ボンカレー」、「ニッケ学生服」などのアレである。メーカーが販促物として配ったものだろうが、古いものを集めるのが好きなので何枚か実物を持っている。
レタリングの文字やデザインにひかれて行きつけの骨董品屋さんで買ったもので、決して勝手にひっぺがしてきたものではない。
これらを何十枚も収集しているコレクターの気持ちには共感する部分があるが、それよりすごいのは鉄道マニアだ。廃駅の看板や行き先案内板、時刻表など信じられないようなものまで収集する情熱には感心してしまう。
集めて部屋に飾っておけるような看板ならまだいいが、大きな看板などは、やはり写真に撮るしか方法はないだろう。
街を歩いて写真を撮る、写り込んだ看板は、その写真が5年10年と時を経たときに、リアリティーを持ってその時をよみがえらせる証言者となる。
文字通り時代の「看板」である。
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