京都でいけずに遭う
若かりし頃、京都で体験した、忘れられない素敵な出来事を書きたい。
それはとある小さな食堂でのことである。情報誌にもよく登場する、元洋食屋さんだったという古い食堂で、そのレトロさが受けるのか、客はひっきりなしの繁盛具合。
昼時を少し過ぎていたのだが、昼食を食べに入った。席に着き日替わり定食を頼むと、
「でけしまへん。」
昼時を終わってもう売り切れなのかもしれないと察し、壁のお品書きから他の定食を頼むと、これもできないという。結局できるのはおばちゃんが持ってきたメニューの裏に書かれたカツカレーや焼き飯の単品、数品だけ。
仕方なくカツカレーを頼みしばらく待つと、いかにも食べにくそうな和食器に盛られたカツカレーが持ってこられた。
一口食べてあまりにも普通すぎる、本当に元洋食屋だったのかと疑いたくなるカレーを食べていると、隣席に工務店の作業服を着た地元の人らしい三人連れが入ってきて定食を頼んだ。オイオイちょっと待ったらんかい。おばちゃん、定食は先ほどできないと言ったはずではないか。
「今でけるようになりましてん。」いけしゃあしゃあと、言ってのけた。
しばらくすると当たり前のように隣の席に定食が運ばれていく。それを横目で見ながら、ああそうか、ここは京都だったのだと、すべてを悟ったのである。
ヨソ者にはシベリアの寒波よりも冷たい京都人の「いけず」を久々に体験した瞬間であった。
うかつであった。ここが京都であることを忘れていた。カレーの辛さとは違う涙が出た。
私は京都出身の父と、大阪出身の母の間に生まれたハイブリッドである。関西人としては血統正しい、サラブレッドといっておきたい。
しかし、どうにも京都が好きになれない、幼い頃の祖母の家での思い出などがトラウマになっていると思われるが、あの他者を排除するような言葉遣いや物腰がいつまでたっても好きになれないのだ。
そう思っているから、なおさらそういう場面に遭遇するのかもしれないが、とにかく私にとっての京都は上記のような「いけず」がいつも中心にある。
確かに、いかにもなリュックを背負い、ヨソ者の臭いをプンプンさせている私の姿は、食堂のおばちゃんにとってはまさに「いけず」し甲斐のある、出で立ちだったのだろう。
この姿でまともな扱いを受けられると考えていた私がアホでした。冬の京都は季節以上の寒さが身に染みるところだったのである。
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コメント
読んでいるだけで腹が立ちました、客商売
なのだからもう少し何とか成らないので
しょうか?
こちらではそんな事無いので京都のイメージ
変わります。
歴史ある意地悪の地なんですね。
テレビで見た遠まわしな意地悪?そんな事も
思い出しながら拝見しました。
投稿: よこ | 2014年3月11日 (火) 10時47分
信じられなかもしれませんが事実です。京都で有名な某喫茶店で注文を聞いてくれなかったこと、以前このブログにも書きましたが、バーで完全に無視されたこともありました。排他的なところと裏表があるのが文化的特徴でしょうね。例えば、着ている服を褒められたとしますと、裏で必ず「見せびらかしに来はったわ」とけなされています。祖母の家ではその両方を目の当たりにしたので、子供心に嫌な所やなと思っていました。
さらに、歴史の浅いものを見下す傾向もあります。何しろ 「この前の戦争」は応仁の乱の事と言うぐらいなので、京都より歴史の浅い神戸生まれの私は祖母から名前で呼ばれず「神戸のボン」と言われてました。京都生まれのいとことは明らかに扱いが違ってましたね。
今時の京都はそこまでひどくはないとは思いますが、行かなくなったのでわかりません。(笑)
投稿: よもかめ亭主 | 2014年3月15日 (土) 12時17分