楽器屋さんの窓際でバイオリンを持つ人(マネキン)。RICOH AUTO HALF ゾーンフォーカス
写真においての作品主義だとか芸術性などというものに、なんの興味もない私にとって、写真とはなんぞや?と聞かれれば、それは「記録」としか答えようがない。
実際には単純に「記録」だけではないのだが、もう少し言葉を足すとするならば「自分自身の興味の記録」という事になる。
具体的にいえば街への興味であり、その中の様々なもの、ショーウインドーのマネキンや、看板、並べられた植木鉢、捨てられたものや、壁面のデテールなど挙げていったらきりがないが、それら街の全て。
それと日射し。強い日射しが当たって、くっきりと街を浮かび上がらせているその光と影の部分には特にそそられるものがあるのだ。
まだ出勤前の串かつ屋の大将(マネキン)。RICOH GRDⅢ
街を歩き回り、自分が見た全てのものをファインダーで確認し、写真にして持って帰ってくる作業が私の写真行為なので、美しく撮ろうだとか、人様に感動を与えようだとか思った事がない。
あくまでも自分が面白がっている事が最優先の写真なのである。撮影技法うんぬん、構図うんぬんよりも面白がり方の方がよほど写真にとって重要だと思っている。
だから面白いと感じない時は、撮らない。撮ってもそれは面白がり方が後で見ても写真から反射してこないのでボツになるだけだからだ。
たこもねぎも天かすも倍返しのたこ焼き屋さん。RICOH GRDⅢ
なぜそのような事を書く気になったかというと、最近立て続けに森山大道氏の「写真との対話」、荒木経惟氏の「東京は秋」、大島洋氏の「アジェのパリ」、武田花さんの「煙突やニワトリ」を読み返して、写真へのスタンスについていろいろ考えてしまったからである。
この四冊の本はいずれも写真家が書いている、評論家が論じたものでなく、写真を撮る人が書いたというところに、説得力や共感を感じるのである。
若かりし頃、写真展をやった時に、写真とはこうあるべきと、散々説教をして帰ったアマチュアカメラマンのことを先日書いた。
この人にとって写真とはなんなのだろうと、ふと思った。
写真クラブやコンテストで及第点をもらうための写真が全てなのだろうし、そういう写真しか知らないのだろう。そしてきっとそういう写真を撮っている自分自身が好きなのだと思う。
褒められる作品づくりの技術はあるだろうが、自分自身が面白がって目の前の景色を見ていないのでは何も写らないと思うのだが。
結局のところ、その人の「面白がり方」がなければ撮った写真も面白くはないという事だ。
ガラス越しに、こちらをじっと見る人。RICOH GRDⅢ
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