街を撮るわけ
街歩きをしながら写真を撮り続けてウン十年になるが、いまだに飽きることが無いのは、街が時代と共に変化して、常に新陳代謝しているからだと思う。
昨日と同じ街など無い。つまり、どんなにがんばったって撮り尽くすことなど絶対にできやしないから、毎回新鮮であるということだ。
街と人を写してこそ街の写真だという人もいるが、私の場合は、街の中にある、滑稽さや、間抜けさ、真剣さといった人の造りだしたものの面白さや、いろんなものが重なり合う遠近感や、たたずまいに惹かれるので、人の姿は極力排除して、通り過ぎるのを待ってから撮る。
街が面白ければ人は要らないというスタンスだ。
写真の中で人の姿はどうしても強くなってしまうのと、元々が建築物好きということもあって、人を撮るなら人だけを、街を撮るなら街だけをと思っている。
デジタルでもフィルムでも、カメラが変わろうが、フィルムサイズが変わろうが、撮るものは街の景色、これが一番面白いと思っている。
そして何よりありがたいのは、自分の好きなものを、自分の好きなカメラで、好きなように撮り続けられていることだと思う。
街が撮らせてくれる、だから写真は止められない。
わっ子供が棺おけに。あわてて近づくと人形でした。厩で生まれたキリストを模した教会のクリスマスディスプレイ。ドキリとする、全く人騒がせな。
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