マミヤスケッチはなぜましかく?
ましかく写真好きとしては、35mmフィルムで24×24mmのましかく写真が撮れるマミヤスケッチは実にありがたいカメラなのだが、なぜましかくを採用したのかなど、いろいろと謎が多いカメラなのである。
気に入っているカメラなので、いろいろ文献など調べてみたところ、設計コンセプトは、性能向上に伴って大きく重くなっていった35mmカメラに対し、手軽に写真を楽しめる小型カメラの開発だった。
最初はハーフサイズで設計されていてシャツのポケットに収まるサイズだったそうだ。ハーフサイズを採用することで2倍の枚数撮影できるため、高価なフィルムで多くの写真が撮れる経済性もあった。ここまではオリンパスペンもほぼ同じ考え方で開発されていた。
しかし、マミヤスケッチの場合、土壇場でアメリカのバイヤーから、ハーフサイズでは売れないのでスクエアにとの要望が入り、設計変更になって、ましかくカメラになってしまった。
アメリカでは1950年代半ばから、35mm用と同じ5cm角の大きさのスライド枠に4×4cm判のコダクロームを入れてスライド上映を楽しむ「スーパースライド」がブームになり、127フィルムで4×4cm判の撮れるカメラがたくさん出回った。
1957年にはローライ44、日本でも58年にはヤシカ44、プリモジュニア、59年にはリコーマチック44、ミノルタミニフレックスなどが出た。マミヤスケッチの発売は1959年4月だから、4×4cm判のましかく写真がブームになっているアメリカで売るには、ハーフサイズよりましかくのほうが有利だったのかもしれない。
しかもマミヤの技師長だった間宮精一氏は戦前、後にマミヤの名を世に知らしめる事になる「マミヤ6」を設計する際、撮影時にカメラをタテヨコに持ち直す必要のないましかくを選んでいるぐらいなので、マミヤという会社には、ましかくを受け入れるDNAが備わっていたのかもしれない、でなければ土壇場で設計変更など受け入れられないと思うのだ、輸出に力を入れていたのもアメリカの要望を聞かざるを得ない要因だったのかもしれない。
さらに、明るいレンズに対応する連動距離計、シンクロ接点、セルフタイマー、レバー巻上げなど当時としては贅沢な内容で、結果的に高価なカメラになってしまったようである。
対するオリンパスペンはマミヤスケッチをとことん研究したそうである。結果的に最初のコンセプトから全くぶれずに設計され、同じ1959年の10月に発売されたオリンパスペンは大ヒットカメラになる、価格はマミヤスケッチの半額、勝負にはならなかったようで、一年足らずでマミヤスケッチは消えていったようだ。そのせいで希少価値が出てしまっているのだが。
【参考文献】
「オリンパス・ペン」の挑戦 米谷美久著 朝日ソノラマ、クラシックカメラ選書26
カメラレビュー クラシックカメラ専科No.36 マミヤのすべて 朝日ソノラマ
アサヒカメラ1959年4月号
写真工業2006年10月号 Vol.64 No.690 特集、四角い画面のカメラ
オリンパスHP 「拝啓 設計者より」Vol.09
神戸花鳥園にて、オオハシという名のとても人なつっこい鳥。餌をやると腕や肩に止まってきます、大きな鳥ですが腕に止まっても意外と軽いのに驚きました。
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