2013年7月31日 (水)
毎日電車に乗っていると、いろいろ面白い人間観察ができる。
私自身はみっともないと思っているのだが、もはやめっきり当たり前になっているのが女性の化粧。
化粧直し程度のものならまだしも、全くのスッピン状態で乗ってきて、一からしっかり化粧し始める姿も珍しいもので無くなってしまっている。
特に女子高生の3、4人連れがワラワラと化粧品を広げている姿は壮絶である。
寝起きのまま出てきたような、もっさりしたメリハリのないハニワ顔が見る見る新地のママかキャバ嬢の様にできあがっていく姿はハリウッドの特殊メイクも真っ青。
特に笑うのはピーラーでまつ毛を上げている姿。どんな美人もこのときの姿は共通して実にマヌケ。
鏡を覗きながら、鼻の下がビロ〜ンと伸びて口はヒョットコかダッチワイフのよう。見ているこちらは笑いをこらえるのに必死である。百年の恋も瞬時に冷めてしまうマヌケ顔とはこのことか。
たぶん大好きな彼の前では絶対に見せないのだろうが、できるなら人前では止めてほしいと思う。
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2013年7月29日 (月)


カメラにフィルムを入れるという、なかなか失敗率の高い作業を何とかしたかったのはカメラメーカーだけでなく、フイルムメーカーも同じであった。
カートリッジをポンと放り込むだけでOKなコダックのインスタマチック126フィルムに対抗して、アグファ社が普及させようとしたのが、ダブルカートリッジを使ったラピッドシステム。
二つのカートリッジをカメラに装てんし、未露光フィルムの入ったカートリッジから、撮影後もう一方の空のカートリッジにフィルムを送る方式なので、撮影後に巻き戻すというのがない。
ブローニーフィルムの巻き取り軸に巻き取っていく方式がカートリッジになったと思えば分かりやすいと思う。
ましかく写真が好きなので、ましかくの撮れるカメラも中古カメラ屋さんでは注意して見ているのだが、ある日ジャンクワゴンで見つけたのがこのミノルタ24ラピッド。
始めて見るカメラだったが、裏蓋を開けると、正方形のフォーマット。これはましかく写真のカメラだと早速お買い上げ。
その頃ラピッドシステムなるものの知識が全くなかったので、何だか左右に黒いカートリッジが入っているのは分かったが、何とかなるだろうととりあえず買ってしまった。後日、このカメラとラピッドシステムなるものについていろいろ調べてみた結果、カートリッジに35ミリフィルムを詰め替えることで使えることは分かったが、その構造上16枚撮りが限界のようだ。
モノクロフィルムの自家現像をしているのなら、わりと簡単に対応できるのだが、私の場合リバーサルフィルムを使ってみたいので、未だ使えずに飾ったまんまなのである。
35ミリフィルムを使ってましかく写真が撮れるカメラとして、貴重なカメラでありながら異端児なのがなんともモッタイナイ、何とかこのレンズで撮ってみたいのだが。
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2013年7月27日 (土)
街歩きをしながら写真を撮っていて、マネキンや置物というのは撮影率の高いアイテムである。それだけこちらが興味を持っているから、目に付くのだと思うし、写真にも撮ってしまうのだと思う。
ウインドーショッピングならぬウインドーウォッチングというのも面白い。デパートやブティックのショーウインドー、特に夜景がいい。きれいな照明に照らされた、オブジェやマネキンが街に彩りを添えてくれて、見ているだけでも楽しいものである。
有名百貨店などでは、ディスプレイにも見るからにお金がかかっていそうだし、センスも良くて、マネキンもたいてい極めつけの美男美女モデルが立ち並んでいる。
デジタルカメラになってから、夜景が撮りやすくなったというのもある。これがフィルムカメラだったら、間違いなく三脚は必需品である。デジタルカメラだと、感度を上げておけば、疾風のように歩き回りながらパシャパシャ撮れる。しかも人工照明との相性がいいので、思ったよりもきれいに写るのである。
ショーウインドーの中だけではない。レストランの店先に、シェフやギャルソンのマネキンが置いてあったり、あちゃらの唐揚げ屋さんのカーネルサンダースもマネキンのひとつであろう。子供の頃、東芝のお店には高速エスパーが立っていたし、不二家のペコちゃんに至ってはいまだ現役である。
今まで撮った写真の中にかなりの数マネキンの写真がある、どうも眼にとまるらしい。よく撮っている。
マネキンにも時代の流行があるようで、古い商店街の洋品店で今時ありえないような顔立ちと髪型のマネキンを見つけるとうれしくなってしまう。
最近のマネキンは生きているかのようなリアルなものが多いように感じる。
いつだったかショーウインドーのマネキンの着せ替え中に出くわしたことがある、リアルなマネキンと、お人形さんのような八頭身の店員さんのどちらが人間か一瞬分からなくなった。
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2013年7月25日 (木)

ましかく写真好きとしては、35mmフィルムで24×24mmのましかく写真が撮れるマミヤスケッチは実にありがたいカメラなのだが、なぜましかくを採用したのかなど、いろいろと謎が多いカメラなのである。
気に入っているカメラなので、いろいろ文献など調べてみたところ、設計コンセプトは、性能向上に伴って大きく重くなっていった35mmカメラに対し、手軽に写真を楽しめる小型カメラの開発だった。
最初はハーフサイズで設計されていてシャツのポケットに収まるサイズだったそうだ。ハーフサイズを採用することで2倍の枚数撮影できるため、高価なフィルムで多くの写真が撮れる経済性もあった。ここまではオリンパスペンもほぼ同じ考え方で開発されていた。
しかし、マミヤスケッチの場合、土壇場でアメリカのバイヤーから、ハーフサイズでは売れないのでスクエアにとの要望が入り、設計変更になって、ましかくカメラになってしまった。
アメリカでは1950年代半ばから、35mm用と同じ5cm角の大きさのスライド枠に4×4cm判のコダクロームを入れてスライド上映を楽しむ「スーパースライド」がブームになり、127フィルムで4×4cm判の撮れるカメラがたくさん出回った。
1957年にはローライ44、日本でも58年にはヤシカ44、プリモジュニア、59年にはリコーマチック44、ミノルタミニフレックスなどが出た。マミヤスケッチの発売は1959年4月だから、4×4cm判のましかく写真がブームになっているアメリカで売るには、ハーフサイズよりましかくのほうが有利だったのかもしれない。
しかもマミヤの技師長だった間宮精一氏は戦前、後にマミヤの名を世に知らしめる事になる「マミヤ6」を設計する際、撮影時にカメラをタテヨコに持ち直す必要のないましかくを選んでいるぐらいなので、マミヤという会社には、ましかくを受け入れるDNAが備わっていたのかもしれない、でなければ土壇場で設計変更など受け入れられないと思うのだ、輸出に力を入れていたのもアメリカの要望を聞かざるを得ない要因だったのかもしれない。
さらに、明るいレンズに対応する連動距離計、シンクロ接点、セルフタイマー、レバー巻上げなど当時としては贅沢な内容で、結果的に高価なカメラになってしまったようである。
対するオリンパスペンはマミヤスケッチをとことん研究したそうである。結果的に最初のコンセプトから全くぶれずに設計され、同じ1959年の10月に発売されたオリンパスペンは大ヒットカメラになる、価格はマミヤスケッチの半額、勝負にはならなかったようで、一年足らずでマミヤスケッチは消えていったようだ。そのせいで希少価値が出てしまっているのだが。
【参考文献】
「オリンパス・ペン」の挑戦 米谷美久著 朝日ソノラマ、クラシックカメラ選書26
カメラレビュー クラシックカメラ専科No.36 マミヤのすべて 朝日ソノラマ
アサヒカメラ1959年4月号
写真工業2006年10月号 Vol.64 No.690 特集、四角い画面のカメラ
オリンパスHP 「拝啓 設計者より」Vol.09
神戸花鳥園にて、オオハシという名のとても人なつっこい鳥。餌をやると腕や肩に止まってきます、大きな鳥ですが腕に止まっても意外と軽いのに驚きました。
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2013年7月23日 (火)
梅雨が明けた途端に猛暑日続きで、どこへ行っても「熱いね~」が挨拶代わり。
言ってもしょうがないが、とにかく暑い、夜はそうでもないのだが、昼間の暑さは異常だ。用事でちょっと外に出ただけで、汗ボトボト。
首にタオルは欠かせない、ハンカチなんかではとてもじゃないが追いつかないほど汗だくになってしまう。このくそ暑いのにかかわらず、休みの日には写真を撮りに出かけてしまう。
ファインダーを覗く前には、必ず顔をひと拭きしてからでないとファインダーアイピースが汗まみれになってしまうので要注意である。
しかも、ピント合わせしようとすると曇りだすから始末が悪い。汗の湿気はカメラにも悪そうだし、レンズ交換のとき、カメラの上にポトリと汗が落ちそうで怖い。
日なたはとても暑くて歩けないし、結局出かけたものの、暑すぎてほとんど撮れないのだが実はいいこともある。冬場に調子の悪いクラシックカメラが、たいてい夏場は調子がいいのだ。
これは暑さで機械油が柔らかくなって動きがスムーズになるからだと思う。何十年もたったカメラである、機械油だって同じだけ年月を経てきているのだ、固まったり、劣化もするだろう。
冬場だとゆっくり巻き上げても止まったり空回りするコンディションの悪いカメラが、夏場はウソのように調子がいい。
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2013年7月21日 (日)
街中で写真を撮っていて、ふと視線を感じるときがある。振り返っても誰もいない。それもそのはず、人ではなくて人の顔に見える建物がそこにある。
設計者は何も人の顔に似せようとして図面を書いたわけではないのだろうが、いざ建ってしまうと日差しの加減や、見る角度によって人の顔のように見えてしまうという訳だ、これが結構オモシロイ。
長く街を撮っているからなのだろうか、そういうものに対するアンテナが少しばかり他の人より敏感になっているようで、ついつい目が向いてしまう。
芸術家の岡本太郎さんが出演していたロバートブラウンというウイスキーのコマーシャルで「グラスの底に顔があったっていいじゃないか」という台詞があったが、私の場合は「街角に顔があったっていいじゃないか」。
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2013年7月19日 (金)

ゼンザブロニカS2前期型。ときどき覗くカメラ屋さんで、値札に故障品の文字が書かれて並んでいたのを発見、当然値段はありえないほど安く付けられていた。
気になったので見せてもらい、シャッターが何とも無く切れるので他に原因があるのだろうとダメ元でお持ち帰り。
自宅で仔細に眺めてみると絞り羽根が固着して動かなかったので、気長にベンジンで拭いてやるとあっさり直ってしまった。
さっそく試写、写真はバッチリ、標準のニッコールレンズはシャープで気持ちいい。
境内でシャッターを切ると一斉に鳩が飛び立つという逸話を残す大きなシャッター音は街中で撮っていると、人が振り返るほど豪快な音だし、手持ちのカメラの中で一番ごつくて重いカメラだが、写真を撮っている感もダントツ一番。
ギリギリギリ、ガッコンとフィルムを巻き上げ、グァッシャンと超派手なシャッター音がストレスもM78星雲の彼方へグッドバイさせてくれる。
重量級ゆえに調子に乗って撮りまくっていると後で腕が上がらなくなってしまうが、写真はカメラで撮るものだというのを改めて実感できる素晴らしいカメラである。

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2013年7月17日 (水)
酒好きなので一通りなんでも飲むが、ワインだけはその良さ悪さがよく分からないままだ。
たぶんそれは私の中でのワインという酒のポジションによるのではないかと思っている。
ビールのように、仕事の後とか風呂上りの「とりあえず一杯」という役どころではないし、日本酒や焼酎のような寒い日の熱燗やお湯割り代わりにもならない。
最初に「今日はワインで」と、まずならないからいつまでたっても分からないままだ。
グルメ番組などで芸能人がワインの味わいについてコメントしているのを見ても、「ホンマに分かって、言うとんか?」と疑っている。
以前、スペインバルの店がオープンしたとき、試しに行ってみたのだが、友人と二人、何を注文すればいいのか分からず、かろうじてメニューのワイン名の前に番号が付いていたので、それを無言で指差して注文。
一緒に頼んだスパニッシュオムレツは、6Pチーズほどの大きさのものが二切れ。
「みんな、こんなんで満足しとるんか?」疑問を持ちつつ横の席を見ると、グラスをゆるゆる回しながら時々口に運び、単行本を読んでいる中年男性客が。
「気取って飲まなアカンのか?そういうもんか?」我々おっさん二人会話も弾まず、値段だけは立派なのに驚きつつ撤退。
その後ホームグラウンドで口直しをしたことは言うまでもない。

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2013年7月15日 (月)
古いカメラや、マニュアルフォーカス時代の一眼レフを使っていて、今と違うなと一番感じるのが、レンズの大きさ。
昔のレンズはホント小さかった。カメラバッグに入れても収まりがよく、単焦点レンズなら数本持って出ても苦にならない大きさだった。それに引き換え今のオートフォーカスレンズは大きく太くなってしまった。ズームレンズが主流ということもあるだろうが、もう少し何とかならないものかと思う。
特に太さを何とかして欲しい、レンズが太いからレンズフードも太く大きくならざるをえなくて、カメラバッグへの収まりは最悪だ。
キヤノンイオス用交換レンズで通称「大三元」と言われる組み合わせがある、広角ズーム、標準ズーム、望遠ズームの3本を明るいLレンズで揃えるのだが、Lレンズというのはプロ仕様の高級レンズだから、大きさ重さより性能重視のごついレンズが多い。レンズだけを見ると中判カメラ用のレンズと見間違えそうなぐらいだ。
この3本があれば確かにどんなシーンでも撮れるだろうが、その前に持ち出す気にならないかも、やはりレンズは小さいほうがいい。
ハーフサイズということもあり、オリンパスペンFのレンズは小さくてかっこよかった。
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2013年7月13日 (土)

コダックのカメラに手を出すのはコワイというイメージがある。以前、フィルム屋さんのカメラにはずれ無しと書いたが、特にコダックはその部分では一番なのではないか。
かつてNIFTY-Serveでパソコン通信をやっていた頃、写真のフォーラムの中にコダックのレチナというカメラの魅力にとり憑かれた人達が堕ちていく「レチナ沼」というのがあった。
ライカやコンタックスのような高級カメラではない、大衆向けのカメラでありながら作りの良さと写りの良さで人気のあったカメラである。
手にするとハッキリ言ってコワイ、欲しくなってしまう。高級カメラなら値段で諦めもつくのだろうが、元々が大衆向けの普及カメラである、作られた台数も多いため、クラシックカメラとしては値段も手頃で、かなりアブナイカメラといえる。
他にもコダックのカメラには魅力的なものが多い、それが分かっているから近寄らないでいた。
今回取り上げたカメラはかなり古いカメラで、私にとってコダック事始めとなる、Kodak No.1 Autographic Special, Model Aというフォールディングカメラ。
フィルム装填部分に書かれたアメリカのパテントの日付が最終1917年月19日となっているので、発売年はその辺りではないかと推測される、日本は大正時代。私が手にするのだから、当然のことながら、ジャンクカメラの中から見つけたものである。直してみてダメだったら、飾っておくのもいいかなと思って買ってしまったのだが、構造が単純なのできれいにするだけで動いた。写りに関しては、さすがコダック、良く写る。
以前書いた同じフォールディングカメラのCertonetもそうだが、ゆっくりとその操作を楽しむにはもってこいのカメラだと思う、撮影枚数も120フィルムで8枚撮りのちょうどいい枚数。
街中で撮っているとみんな見ていく、あまりにも古いカメラなので、まともに写真が撮れると思われていないのかもしれない。だけど良く写るんだなコレが。

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2013年7月11日 (木)
曇り空の日に、写真を撮ったことがある方なら分かるだろうが、空は真っ白になって、全体的にコントラストが低く、カラー写真なのに色合いも鈍い。
空は明るいのに、それ以外のものは、何となく全体に暗い感じの写真になってしまう。
晴れの日だと、日差しがクッキリとした影を作るので、コントラストも高く、日のあたる場所は色合いもハッキリきれいに見える、空も青い。
曇り空というのは、低く垂れ込めた雲が日差しをさえぎって拡散させてしまうので影も出ないし、コントラストも低くなるのだ。いい意味でやさしい日差しといえる。
ガラスの部分が、透明の電球と白い電球を思い浮かべて欲しい、白い方は明かりがやさしい、曇り空もこれと同じことである。
一般的に曇りの日は、空を入れないような構図で撮るとよいと、よく言われるが、そんなに都合よく構図が取れるわけではないので、これはひとつの方法ということである。
そういうわけで曇りでコントラストも色彩も期待できない状況なら、最初っからカメラの設定を、カラーをやめてモノクロの設定にして撮ってみてはどうでしょう。
RAWで撮影すれば、後からいくらでもモノクロにできるじゃないかといわれるかもしれないが、そうではなく、撮るときから、カメラも撮る人もモノクロモードにして撮ってはいかがですかということである。
つまりモノクロの眼で物や景色を見るということですね。
色彩より、ものの形とか質感とかそういうものを見つける視点で撮ってみると言う事。実はこれが結構楽しい、これでモノクロ写真にハマること間違いなしです。
これはフィルムカメラにモノクロフィルムで真っ当な撮り方をしたもの。
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2013年7月 9日 (火)
数年前写真展に出品したものは、インクジェットプリンターで出力したものだったが、それに気が付く方はいなかった。
使ったプリンターはキヤノンのもので、実売一万円ほどのモデル。インクも4色のかなり下の機種だ。結論から言うと、モニターの色あわせをちゃんとすればこれで充分キレイにプリントできます。
もともと、ラボでのプリントの質の低さに閉口して、当時出始めだった写真画質のインクジェットプリンタに飛びついたクチなので、プリンタとの付き合いは長いのだが、その結果「プリンターは安いので充分」と思っている。
プリンタメーカーの最上位機種には写真家や写真愛好家をターゲットにしたプリンタがあるが、たくさんの色数のインクを使うものばかり。
シアン、マゼンタ、イエロー、ブラックの4色を補完する別の色のインクで質の高いプリントができるのだそうだが、4色だけでキレイにプリントできるように設計するのが本筋ではありませんか?色数を増やせば、キレイになるのか知らないが、当然ランニングコストも上がるわけで、それを超えるだけのメリットが本当にあるとは、出力サンプルを見ても思えない、インクカートリッジも紙も高すぎるし。
消耗品で儲けたいというのは分かるが、プリントは高くつくとなると、皆さんプリントしなくなって、ipadとかに入れて持ち歩くようになるでしょうな。
プリントよりきれいに見えるし、拡大縮小できるし、何千枚でも重くはないし、電気代だけだし。これってデジタルカメラが普及してきたときのフィルムカメラの運命に似ているな、うわー。
実際ipadを使うようになってプリントしなくなっている、以前はある程度写真を撮りためるとその中から気に入ったものを選んでプリントし、写真専用のファイルブックに入れていつでも見たり見せたりできるようにしていたものであるが、今は全くそれをしていない、写真もネットで調べた資料も、自炊で電子書籍化した本もぜ~んぷipadに放り込んで終わり、楽で便利なエエ時代ですわ。

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2013年7月 7日 (日)

高校の入学祝に買って貰ったのがキヤノンAE-1。「連写一眼。」のキャッチコピーで一世を風靡した一眼レフカメラだ。
連写と言っていながら、パワーワインダーAというアクセサリーを装着して初めて連写になる仕組みで、しかも秒2コマ。なんとものんびりした連写であった。
なぜキヤノンを選んだかというと、なぜか家にキヤノンのFL135ミリレンズがあったからである。レンズがあるのなら、それを使えるボディーをということになって、キヤノンになったわけだ。
なぜレンズ一本だけ残っていたのかは分からない。たぶん父親が使っていたのだろうが、カメラは残っていなかった。
もしこれがニコンのレンズだったら、ニコンのカメラを買ってもらっていただろう。どのメーカーを選ぶかなんて案外こんなきっかけなのかもしれない。
使い出してから、キヤノンが好きになっていった。イメージとしてニコンは保守的で、お堅い感じがしたが、キヤノンは明るく若々しくて、先進的な印象があった。
大阪梅田の第一生命ビルだったと記憶しているが、キヤノンサロンがあって、カタログをもらいに来るだけの学生にも親切でいろいろ相談に乗ってもらったり、教えてもらったりした覚えがある。
長くキヤノンのカメラを使ってきて、たった一度だけシャッター不調に陥ったことがある、数日後にどうしてもカメラが必要なのでと言ったところ、無理を聞いてくれて、超特急で修理してくれた。
結局そういう小さな満足の積み重ねが今もキヤノンを使い続けている理由かもしれない。
ちなみにEOSシリーズを使い出してからは一度も故障に遭遇していません。

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2013年7月 5日 (金)
人間は、だいたい一日に何段ぐらいの階段を上り下りしているのだろう。
二階建ての家なら、一日に何往復かはしているだろうし、駅に行けば階段、仕事場でも階段、道を歩けば歩道橋などの階段。まったく階段を上り下りせずに一日を過ごすことはまず不可能である。それだけ生活の中で、無意識に階段を利用しているということになる。
で、その階段をじっくり眺めたことはありますか。たぶん、きっと、まず、間違いなく無いと思う。階段は上ったり下りたりして、目的地へ到達するための手段の一部なので、いちいち階段を愛でたり、階段の渋さを議論したりすることなど無いからね。
もし階段評論家などというヤカラがいたとしたら、よほどの物好きだろうし、当然、階段ソムリエなんてのもいない、いたらちょっと面白いかもと思ってしまったが。
「この階段は、○○原産の△△石を××工務店のマイスターが、腕によりをかけて作り上げた一九九八年ものの逸品でございます。」などと言われたところで、それがどないしてんな世界である。
私は街をうろつき写真に撮るということを面白がっているので、カメラを持っていなければただの不審者、もっと年齢がいったらただの徘徊老人に間違われても仕方がないのだが、カメラがあるおかげで、街中で色々なものを撮っていてもとりあえず怪しまれることはない。
階段のような、普段誰も気にとめないようなものにカメラを向けていても「何しとんねん、このオッサン」ぐらいに思われるだけで、みんな通り過ぎていく。
階段で猫でも寝そべっていたりしたら、動物好きのアマチュアカメラマンぐらいには思ってくれるかもしれないが。
街にある全てのものを面白がるのが基本なので階段だってじっくり見れば結構面白いのだ。
特に歓楽街の階段は面白い。クラブやバーなど、扉の向こうの非日常な空間に誘うため、階段だって半端ではない。電飾ビカビカだったり、真っ赤な絨毯敷き詰めまくりだったり、風俗店のようにいかがわしさプンプンだったり。
上って下りて写真に撮って、いい汗かいたらビールが旨い階段事情なのである。
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2013年7月 3日 (水)
朝のラッシュ時の電車に乗っていて思うことなのだが、席が空いているのに座らない人が気になる。
その人の主義なのか何なのかは分からないが、立っている人で、たいがいぎゅうぎゅう詰めになっているのだから、空いた席にさっさと座ってくれた方が立っている場所に余裕ができて楽になるのに、かたくなに仁王立ちである、邪魔なことおびただしい。
でかいショルダーバッグや、リュックを持っている人ほど、邪魔になっているのに気が付かず立ち続けているように思うのは私だけか。
自分が座る気が無いのなら空席を塞ぐように前に立ち尽くさずに、体をかわして他の人を座らせてあげればいいのにと思う、なんとも融通の利かない人が多い。
優先座席にも、かたくなに座らない人がいるが、すいている電車なら別に座っていてもかまわないのでは?
優先座席を必要としている人が来たら、さっと席を立って空けてあげればいいだけの話だ、気遣いと臨機応変でいくらでもスムーズになると思うのだが。
この列車はラッシュと関係なさそうだ。
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2013年7月 1日 (月)

フォールディングカメラと呼ばれるカメラがある。蛇腹折りたたみ式の構造を持つ畳むと非常にコンパクトになるカメラのことだ。
この蛇腹をばねの力で出てくるようにしたのをスプリングカメラと呼ぶ。今回のカメラは手動でレンズを引き出さねばならないので、フォールディングカメラと呼んでいいだろう。
カメラの名前はCertonet(ツェルトネット)、1925年頃の東ドイツCerto camera werk製というところまでは分かったがそこから先が不明。
レンズとシャッターが生きていて、蛇腹に穴が開いていなかったので、使えるとふんで買ってみたジャンクカメラである。手提げの皮は金具の付け根が折れてなくなっているし、全体にボロボロなのだが、6×9センチの写真が撮れる。
いかにもクラシックカメラという形が、棚に並べていてもなかなか趣があっていい。
写り具合は下の写真のとおり、カラーフィルムなんて無かった時代のカメラで、カラー写真を楽しんだ。

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