2013年6月29日 (土)
最初、ヒーローの話題を書くつもりだったのだが、ヒーローというには、カッコ良くないが、忘れられないキャラクターというのもたくさんあったなあということで、この際ふたつまとめて面倒見ることにした。
戦後の復興期を経て、高度経済成長を遂げた日本に登場したヒーローの数々についてなどとどこかのオタク文化人類学者のようなことを言うつもりはない。
ぶっちゃけた話、私ぐらいの世代が、上り調子の日本と共に、ヒーローやら怪獣やらキャラクターやらに一番まみれた子供時代を送ったと思う。
たぶんこの頃の話をさせたら、一晩でも二晩でも語れるだろうし、ヒーローの五十や百はすぐに名前を挙げられる。コアな話からレアな話まで冒険王の十大付録ぐらいのボリュームで語れる。鉄人28号やウルトラマンで酒が呑めるし、手塚漫画のキャラクターを肴にボトル一本開けろと言われれば、「おう、望むところだ」となるであろう。
それぐらいヒーローやキャラクターだらけだった。目移りしているヒマどころか、どん欲に片っ端から吸収していったのだから、その摂取した栄養たるや半端ではない。
以前、行きつけの酒場で、常連客達とバカ話に花を咲かせていた時、たまたまテレビアニメの話題になって、「僕は、宇宙戦艦ヤマトが最後かな、それから見なくなりましたね。」といったところ、右隣の少し若い客が、「僕はその後の世代、ガンダムに夢中でした。」というやいなや、今度は左隣の客が、「あー、私もですー。必死で見てましたよー。」で、私を挟んで知識ひけらかし大会。
ガンダム世代の導火線に火を付けてしまった私が悪いのだが、語りが止まらないのは聞いていて結構キツいものであった。
ま、それぐらい皆さん幼少の頃に出会ったヒーローに対しては一家言あるということで。
ヒーローのみならず、コルゲンのカエルなどの薬局キャラだとか、不二家のペコちゃんだとか、明星チャルメラのオジサンだとか、ヒーローのように夢中になったわけではないけれど、今も身近に生き続けていて忘れられないものもある。
それを思うと探しながら街を歩くのも、スーパーの売場をうろつくのも楽しい。以外とみんな長生きである。
このブログ鉄人登場率が高いのですが鉄人の街長田区が近くということで。ビル~の街~にガオー。夜~のハイウェイにガオー。グリコ劇場懐かしいですわ。
薬局キャラオールスターズ。指人形とかシールとかよく貰ったな~。
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2013年6月27日 (木)
パソコンのメモリーやパーツ類、デジカメならメモリーカードや、純正以外のレンズ、特定の組み合わせで動かなかったり、不具合が出たりする現象を相性問題と呼んでいるが、カメラ好きと中古カメラ屋さんとの間にも相性問題というのがあると思う。
私の場合、相性がいいのが神戸駅すぐのマツミヤカメラ。今までそれなりにいろいろ買ったが、一度もトラブルに遭遇したことが無い。基本的にコレクションより、実用重視のお店なので、その辺りはキチンとしているのだろう。
ただ、友人知人を連れて行くと大抵ドン引きする。お店というよりカメラの巣窟。
「ホンマに、ここで買ってんの?」、オイオイ、お店を見かけで判断してはいけません。いい店だから通うのだよ。
反対に、相性が悪いのか、今まで買ったもの全てでトラブルに遭遇したのが、○○カメラ。
私だけが相性が悪いのかもしれないので、店名は伏せるが、ちょっとばかり、マニア向けの店で、他店では見かけないものが置いてあるのが魅力なのだが、調子のいい店主の言葉とは裏腹に、なぜか要注意物件に当たってしまう。
見た目はきれい、店頭で動かしてみても全く正常、大きな問題を抱えている物件にはどうしても見えないのに、フィルム2、3本ぐらい通したところで必ず不調がお決まりのパターン。
仕方が無いので自分で中を開けて直すが、どうも納得がいかない。
「昨日ね、修理からあがって来たんですワ。そやからピカピカでしょ、よう写りますよ、この値段で出せる所、他所には無い思いますワ。」
弁が立つというか、調子がいいというか。「おっさん、絶対修理なんか出してへんやろ」、分解すればすぐ分かる。
だったらこんな店で買わなければいいのにと思われるかもしれないが、そこはマニアの店、腹立たしいことに探しても見つからないものが、さりげなく並んでいたりするのである。
今も気になる物件が二つばかし並んでいるのだが、過去の実績から手を出しあぐねている、誰かが買って行ってくれれば、諦めもついてホッとできるのだが。
神戸元町 中古カメラ屋さんとの相性は占ってくれますか。
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2013年6月25日 (火)
富士山が世界遺産に登録されるようになったというのをニュースで見た。
そのせいか知らないが、ここ数日テレビで富士山の映像をみる機会がやたらと多い。
富士山は日本の象徴のような山なのでとうの昔に世界遺産になっていたと思っていたのだが、いろいろ問題があってなかなか難しかったようですな。
そこだけに生息する珍しい生き物や植物がいるわけでもなくて、遠目ではきれいな山なのにゴミだらけだったり、設備の整備遅れなど、もう一つアピールするものがなかったらしくて今頃やっと認められたということらしいのですが、アピールポイントとして信仰の深い部分で攻めたそうですな。
ま、苦しいときの神頼みというわけではないでしょうが昔から信仰にまつわる部分で富士山があったというのを全面に出してパスしたようで。
ともかく、やっと日本のフジヤマから世界のフジヤマになれたのは喜ばしいことなので、時事ネタはあまり興味が無いこのブログも便乗させていただくことにしました。
正直なところ富士山は学生時代の修学旅行で行ったきり、今回世界遺産になったことで登山は有料になるでしょうし、何かと維持するための制約やらが発生しそうで、ちょいとばかり遠い山になりそうな予感がしますな。
どちらかといえば登るより遠くからその姿を眺めている方がきれいな山だと思うので登ることは無いでしょうが、今年の年末辺りは富士山のカレンダーが登れない方々に売れるかもしれませんな。
写真上は新幹線から撮った富士山、手前の工場がドンピシャで重なった。写真下は世界遺産という名のお店。これはよもやまカメラ的かなと。
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2013年6月23日 (日)
東京では浅草に宿を取ることが多かった。何となくホッとする街の雰囲気が好きだからだ。
蔵前にあった商人宿は人情味あふれるもてなしと、古かったが手入れの行き届いた室内が気に入っていたのだが、ある時、宿泊予約の電話をしたら、廃業してしまっていた。
人情ドラマのロケにもよく使われたと主人が自慢する、立派な下町の建物だったのだが残念である。広くはなかったが、扇型でタイル張りの風呂も気に入っていたのだが。
今はもう、そういう宿を探して泊まる余裕や時間もないので、ネットですぐに予約できるビジネスホテルになってしまったが、ビジネスホテルでも、なかなか良いホテルもある。
浅草で見つけたビジネスホテルは、最上階が露天風呂になっているのが気に入って何度か泊まった。ちょうど隅田川沿いにあって、露天風呂からの夜景がよかった。時間交代で、男湯と女湯が入れ替わるようになっていて、飲んで帰ってきても、ゆっくり湯に浸かれるのがありがたかった。
自宅の狭い風呂と違って、温泉や、銭湯では足を延ばして、だらりとした格好でのんびり浸かれるというのが良いのだ。他に何もいらない、ただぼけーっと暖かさの中に体を泳がすようにしているのが心地よい。たとえて言えば湯豆腐の中の豆腐のようにお湯に漂うのが良いのだ。
ビジネスホテルの露天風呂も良いのだが、浅草寺から少し行ったところに、いかにも下町の風呂屋という感じの温泉がある。番台のおばちゃんは思いきり愛想が悪く、常連客が幅を利かす、良くも悪くも地域密着型の風呂屋なのだが、決して広くはない風呂に岩風呂もあってほうじ茶のような色のお湯がなかなか良い風呂屋であった。
東京は、本当に風呂屋が多いと思う。下町でも少し歩けばすぐに風呂屋があって、そういうのが連続している、しかも立派。撮り歩いた後は一風呂浴びるのも楽しいものである。
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2013年6月21日 (金)
レンズに保護フィルター類をつけないので、レンズの汚れやホコリの付着には気を使っている。極度の汚れはレンズクリーナー液と、クリーニングペーパーを使ってきれいにしてやるが、通常はレンズ拭き用クロスを使っている。
一時、これを使って洗顔すると美顔効果があると評判になって、大手量販店の写真用品売り場で売り切れてしまったことがある、東レの「トレシー」という超極細繊維でできたクリーニングクロスである。
ちょうど出始めの頃、行きつけの写真屋さんの店長が「新製品でこんなん出るんやけど」と教えてくれて以来ずっと使っている。発売当時は結構いい値段だったように思うのだが、効果は絶大。以来手放せない。とにかく拭くだけで大概の汚れはアッサリ取れてしまうので、カメラバッグに忍ばせて置けば安心だ。
ネガやポジフィルムを触るときにはこの素材で出来た手袋を使っている。毛羽立たないのでホコリが着かない。サイズいろいろ、色もいろいろなので、自分に合った物を選べる、使ってみたことがない方は一度使ってみては。
眼鏡屋さんでくれるオレンジ色のクリーニングクロスはシリコンを染み込ませてあるので、レンズ拭きには使うなといわれておりましたが、最近は眼鏡屋さんでもトレシー素材のクロスを使ってますね。メガネを作ったときにくれたのがそうでした。
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2013年6月19日 (水)
かなり前の話だが、行きつけの酒場でたまたま隣り合った七十代後半のおばあちゃんふたり連れと常連客同士、話が盛り上がって、色々と面白い昔話を聞いたことがある。
かくしゃくとした方で、おばあちゃんという感じのしない方だったのだが、話の内容はまさに年輪を感じさせるものだった。
神戸の有名ミッションスクールの女学生だったそうで、そういう学校は、戦時中率先して軍需工場に工員でかり出されたそうだ。神戸大空襲の日付もはっきり覚えていて、高台にあった自宅は、焼けなかったが空襲で飛ばされてきた瓦礫で、穴だらけになったという。
戦後は勤めるより、遊びたかったので上の学校に進学し、元町や三宮のダンスホールで踊り、ビリヤードをし、ジャズを聴き、ジョージ川口とフランキー堺のドラム合戦に夢中になったという。
モダンといえばモダンだが、考えてみればとんでもない不良お嬢さんだったということである、それだけに話が抜群に面白い。
一度母校の招待で、中学生の後輩達の前で戦時中の話をしたそうだが、皆ちゃんと聞いてくれて嬉しかったと言っていた。そりゃそうだろう、活字や記録映像なんかより、当事者の肉声の方が、はるかにリアリティがあるに決まっている。歴史を語り継ぐことはむずかしいとよく言われるが、ざっくばらんに聞く機会があればいいのではないか。
それにしても貴重な面白い話をたくさん聞けて、有意義な時間であった。
さすがに戦時中の写真なんて無いのでジャズバーの看板写真でもどうぞ。
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2013年6月17日 (月)
休日に見てきた映画「ビル・カニンガム&ニューヨーク」のことなどをつらつらと。
内容はというと、ニューヨークの街でファッションを50年にもわたって撮り続け、二ユーヨーク・タイムズ紙のファッションと社交界のコラムを担当する80歳を越えた写真家ビル・カニンガムの日常を追いかけたドキュメンタリーである。
ま、早い話が外国版「情熱大陸」みたいな映画ですな。
ドキュメンタリーなのでストーリーというものは無いし、ひたすら主人公の仕事振りを追いかけ、間にその業界の有名人や被写体となった人たちにインタビューしたカットが入るだけの何の抑揚も無い映画なので、登場する芸術家や、有名人、ファッション誌の編集者やアートディレクター、ファッション界のこと、ニューヨークの街についてある程度の知識が無いと全く面白みの無い映画なのではないかと感じた。
私はファッションのことなど全く分からないし、ニューヨーカーと呼ばれる人たちの日常も知らないので、自転車で颯爽とやってきて、奇抜なファッションをした人を見つけるとカメラを向けバシャバシャ写真を撮るこの写真家が、一歩間違えばアブナイオタク爺さんに見えてしまった。
食べるものに興味が無く、自分のファッションには無頓着、住むところもこだわらず、恋愛もしたことがないという徹底振り。タダタダ他人のファッションにのみ鋭いアンテナが立っているという写真家である。
映画としては絶賛する人も多いようだが私には「う~ん」だった。
映画の中で唯一興味を持ったのは、主人公が友人に「ペンのように撮れる」といってもらったカメラで写真を始めたというくだり、「36枚撮りで72枚撮れる」カメラだっったといっていたシーンである。
当時のモノクロ写真(映画のチラシにも掲載されている)が映し出されたがそのカメラがオリンパスペンであった。形から見てたぶんD2かD3だと思われるが、よもやまカメラ的にはそこが気になったところであった。
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2013年6月15日 (土)
食堂、めし屋と聞くと、ガラスのショーケースに並んだおかずを選んで、それにみそ汁とめしを頼むというのを思い浮かべてしまうのだが、そんなお店が少なくなったなと思っていたら、最近、新しい店で、そういう形態の食堂をよく見かけるようになった。
どうやら外食チェーンの食堂のようだが、おかずを選んで、めしを頼むのは同じである。食堂においても、歴史は繰り返すのかと思いつつ、茶髪の店員と、妙に衛生的で明るくきれいな店内に、ちょっと昔とは違うものを感じたのだけれど、そう値段も高くもなく、それなりにキチンとしたおかずがあったので、これはこれでいいことだと思っている。
とはいえ、私としては、やはり昔ながらの食堂の方が好きである。食堂と一口に言っても、和食のめしとおかずの店だけではない、洋食屋も洋風料理界の大衆食堂だと思っているし、ラーメン、焼きめしの提灯がぶら下がった「○○楼」や「○○飯店」なんて名前の中華料理屋も、大衆食堂のジャンルに入ると思っている。
結局、大衆食堂なのだ。お品書きだって大衆のニーズに合わせて、クロスオーバーしている。
和食の食堂だからといって、和食だけではない、中華ソバもオムライスもある。洋食屋だからといって、日替わり定食には、おひたしや味噌汁が付いているし、焼きめしもピラフと名前を変えて存在している。中華料理といっていながらカレーライスやチキンライスもある。食べたいと思うものは、たいてい揃っているのが素晴らしい。
おまけに酒も呑めるし、朝早くから朝ごはん定食をやっているお店もある。食事に関しては、全方位スキがないのが食堂の魅力かも知れない。
街歩きの時は、たいてい昼ごはんは食堂で食べる。お昼時をはずした時間に食べるので、店は空いていて、ゆっくりできるのがいい。
おばちゃんも、テレビのワイドショーなんぞを見ながらヒマそうにしていたり。横でお孫さんらしき子供が、足をプラプラさせながら宿題をやっていたり。近所のヒマなおじいちゃんがビールを呑みつつ、おっちゃんと世間話をしていたり。なんだか、そういう雰囲気の中で食べる昼ごはんはとても和むのである。
思わずもう少しここに居たくて、「おばちゃんビールちょうだい。」
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2013年6月13日 (木)
コニカLに引き続き、女子カメラをもう一台ご紹介したい。フジフィルムが1964年に発売した、フジカミニというカメラのことで、ハーフサイズの写真が撮れる実に小さなかわいらしいカメラである。
デザイン上の特徴は、感度表示とレンズ部分のノブに、宝石があしらってある。もちろん本物ではなく、フェイクのガラス玉だが、カメラに宝石をあしらうというところが面白い。
ちなみにISO25はルビー(ピンク)、ISO50はサファイア(青)、ISO100はトパーズ(黄)、ISO200はペリドット(緑)だそうだ。これにメーターの指針を合わせると適正露出になる。シャッターは125分の1秒のみ、ピントは固定焦点、フイルム巻き上げはカメラの上下を指で挟んでおいて、カメラの方を回すことで巻き上がる。いろんな意味でとてもユニークなカメラで、やはりおじさんには似合わない点ではコニカLと双璧だろう。
長いチェーンがついていて、カジュアルな装いでも、ドレスを着ていても似合いそうである。シルバーの貼革が黒の輸出バージョンもあった。
コニカLにせよ、フジカミニにせよどちらもフィルムメーカーから発売されたことが面白い。何とか女性に写真の面白さをアピールして、フィルムを使ってもらおうという気持ちが現れている。
中古でもあまり見かけないし、ややコレクター価格なのが残念だが、かわいらしさでは一番の小さなカメラである。
当時の広告や記事を見てみたいのだが、見つからなくて目下探し中。
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2013年6月11日 (火)
長く写真を撮っているが、いまだかつてコンテストに写真を出したことがない。理由はただひとつ、コンテストが嫌いだからだ。
写真の雑誌にはたいていコンテストのページがある。いわゆる月例コンテストというものだ。カラーやモノクロや組写真など雑誌によって違いがあるが、いろんな部門があってそれぞれに選評をしてくれる先生というものがいる。
たいていは点数制になっていて、入選すると何がしかの点数が付き、年間得点の多い人が最優秀ということになっている。これが脈々と続く月例コンテストの世界だが、これがさっぱりわからない。なぜ応募するのかがさっぱりわからないのだ。
学生時代、テストの点数で何度も何度も嫌な思いをしてきた私にしてみれば、好きで撮っている写真に点数を付けられて喜ぶということが理解できない、何を目指しているのか、なぜ応募するのか。選評する先生にほめられたいのだろうか、自分の腕前がどれくらいなのか知るモノサシが欲しいのだろうか。
このまま行けばコンテストのための写真を撮るようになってしまうのではないか、それはちょっと悲しい。上手い下手より自分の好きなものを思うように撮ることのほうがはるかに大切だと思うのだが。
大阪道頓堀 スポタカのフェアープレイ像、どうやって服を着せたのかと思いつつ撮った。いつも街の全部を面白がって写真を撮り続けている、だから興味は尽きない。
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2013年6月 9日 (日)
今のように、女性がカメラや写真を楽しむことが当たり前の時代が来るということを、今回取り上げるこのカメラが発売された当時、誰も想像しなかっただろうと思う。
コニカL。1961年10月発売、半世紀以上前のカメラである。当時の価格はカメラ11800円、ケース1300円。シャッターを押すだけ、後はカメラ任せでOKが謳い文句のEEカメラが各社から発売された時期である。
EEとはエレクトリックアイの略、初期の自動露出機構の名称で、正確には目の瞳のように絞りを変化させるシャッター優先の自動露出方式を指すが、いつしか自動露出そのものを指すようになってしまった。のちに出てくるAE(オート エクスポージャー)が本来の自動露出の意味だ。
それはさておき、このカメラ、とあるカメラ屋さんのジャンクワゴンで見つけそのデザインに惹かれてお持ち帰りしたもの。
事前の知識が無かったのでさっそく調べてみたところ、レンズ周りのグレーのリングを回して、内蔵露出計の針を適正露出に合わせるプログラムEEで、シャッタースピードや絞りを選ぶといったわずらわしさがないというのが特徴であった。
コニカLの「L」はLadyのことらしいが、シャッターの型番がセイコーシャLなのでその意味もあるかもしれない。
しかしこのカメラの最大の特徴は、そのデザインだろう。女性をターゲットにしたことは間違いない。目立つ位置に大きな赤い「L」の文字、黒い貼革でなくライトグレーのちりめん塗装で角は丸みを帯びたボディ、小さな手でも押しやすい位置にあるシャッターボタン、フィルム装填のし易い下開きの裏ぶたなど、オッサンには似合わないきれいなカメラである。
フィルムメーカーにとって女性が簡単に使えて持っていてもおしゃれなカメラは時代の要求だったのかもしれないが、果たしてどれだけ売れたのだろうか。
手元にある当時のカメラ雑誌広告のコピーにも「ドライな味とレディ好みのスマートさをもった新しいタイプのカメラです。」とある。
どれだけのレディが使ったのか分からないが、今時のカメラ女子にぜひ使っていただきたい、使いやすくてよく写る素敵なカメラである。
当時の雑誌広告と作例。
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2013年6月 8日 (土)
「お待ちどうさま、こちらへどうぞ。」散髪屋で順番を待っていてこの声がかかると憂鬱である。
散髪屋が嫌いなのだ。だいたい頭や首筋や顔を他人に触られるのか嫌いなので、散髪屋のように、長時間動けないまま触り放題触られるというのが我慢できない。
さっぱりしたいが散髪屋に行くのは嫌、で、どうしてもぎりぎりまで伸ばして、どうしようもなくなってから仕方なく切りに行くということになってしまい、一年で三回ぐらいしか散髪しない。
しかも安い早いの散髪チェーン店で、できる限り短くしてもらうというのがここ数年いつものコースになっている。
以前は行きつけの散髪屋があった。それは子供の頃から行っていた地元の散髪屋なのであるが、夫婦でやっていて、おばちゃんだけになってからは予約をしないと取れなくなってしまって行かなくなってしまったのである。
住宅街の真ん中にある地元完全密着型散髪屋なので、周りの子供も大人もみんなそこで髪を切ってもらっていた。
中学に入るのに丸坊主にしたのもここである。春休みの頃は丸坊主の客が毎日のように来るので、バリカン片手におっちゃんもおばちゃんも儲かってうれしそうだった。
こんな散髪屋であるから、街のことは全部筒抜けである。
「○○君とこのお兄ちゃん、灘校受からはったそうやで」のめでたい話から、「○○のおじいちゃん、退院したゆうて見えてはったけど、ほんまはもう長ないから帰らしてくれたらしいわ」な深刻な話まで、小さな街のニュースはここでほとんどキャッチできるのである。
というか、勝手にしゃべってくれるので、聞かなくても知ってしまうという方が正しい。
個人情報うんぬんの今時、街のことは区別も差別もなく全部ガラス張りというのはすごいことであるが、昔はこんなの当たり前であったのだから、隣の住人が誰かもわからないような今の世の中が、住みにくくなったということかもしれない。
大嫌いな散髪屋であるが、唯一気に入っているのが、最後のマッサージ。
肩をパコパコ叩いてくれるあれである。パコ~ン、パコ~ンあの音がなんかいいですよね。
間違いなく元散髪屋さんの廃墟、こういう店構えが多かったな~。
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2013年6月 7日 (金)
古いカメラを使っていて困るのが、カメラ本体にストラップをつけるアイレット(輪っか)が付いていないものがあることだ。そのままでは首から提げる事はできない。つまり当時は革のカメラケースに入れて使うことが当たり前の大前提だったということだ。
しかし古いカメラである。ケースが一緒に出てくることは少ないし、あったとしても古くなりすぎて、大抵はボロボロでクタクタ。危なっかしくて使う気にならないものがほとんど。ストラップなんてカサカサの紙のようになっていて、強く引っ張ると切れてしまうことすらある。
何とかするべく、どこかで作っているところは無いかと、ネットで探すといろいろ出てきたのだが、たいてい職人さんの手作りなので、仕上がりは抜群だが、お値段も抜群だったりする。
私の持っている古いカメラは、かなりのものがジャンク品、二束三文でワゴンに山積みになっているようなものを探し集めてきて、直して楽しんでいるので、一台数百円から数千円といったものがほとんど。そんなカメラに一万円以上もするケースなど、とてもとても。本末転倒もはなはだしいのである。
こうなれば自作しかないか。困ったときの自分頼み、手先だけは器用なのでポイントさえつかめれば何とかなりそうと、これまたネットで自作している人は出てこないかと探してみると、皆さん結構自作してらっしゃるのですなぁ。いっぱい出てきました。
コレは心強い。参考にしつつ、ケース作りをもくろんでいる今日この頃なのである。
ケースはケースでもコチラはビールケース、とんだケース違い。たまにはこういうケースもあります。
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2013年6月 6日 (木)
このあいだ、ある写真家のエッセイを読んでいたら、使っているクラシックカメラには必ず保護フィルターをつけていると書いてあった。
今まで生きながらえてきた、大切なカメラなのだから、大事にするためにも保護フィルターでレンズを保護すべきと言う考え方のようだ。
なるほど、そういう考え方もあるか。
私はレンズにフィルター類を一切つけない。ガラスが一枚余分に付くことでレンズの性能を低下させるのがいやだからだ。窓ガラス越しに撮影しているような状態に思えて、つけなくなった。
つけなくなった大元の理由はその昔、大好きなある写真家がインタビュー記事で、必要なしと言い切っていたからである。光学性能を低下させるものはプロとして使わない、カメラの取り扱いが荒っぽいアマチュアが使うものと断言していたのを読んで、なるほどその通りと感銘し、それまでつけていた保護フィルターを全部はずしてしまった。
で、それによって問題が起こったかと言うと、何も無い。一度もトラブルに見舞われたことは無いので、つけなくても大丈夫と思っている。
ただ心配な方にはつける事をおすすめしている、傷をつける事を怖がってバッグの中に仕舞い込みっぱなしになることの方が良くないからだ。
一枚の保護フィルターで気分が写真を撮る方へ変わるのなら、つけたほうがいいだろう。結局どちらでもお好きなようにということになってしまった。
保護フィルターは使わなかったが、PLフィルターは常備していた。青空の色をクッキリさせたり、ショーウインドーのガラス越しの撮影に重宝したのである。
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2013年6月 5日 (水)
簡単な一言でも、土地柄というものが出てしまうものだ。例えば「駐車禁止」の看板も大阪や、神戸で見かけたのは「ここに車止めるな!!」のように、やってはいけませんをハッキリと言うのが多いのに、京都で見かけたのは、「ここに止める気どすか?」と問いかける、底意地の悪さがにじみ出たモノだった。
反対に、なぜかどこで見かけても共通の名文もある。古い建物の男性用トイレによくある看板で、「急ぐとも心静かに手をそえて側へもらすな松茸の露」というもの。
調べてみると、詠み人知らずでトイレの格言とか、便所の川柳などといわれているらしい。
神戸元町にある大正時代に建てられたビルのトイレでも見かけたし、大津市と、別府の古い市場でも全く同じ文面を見かけている。誰が考えたか分からないが、いろいろな土地に広がっていったということは、それだけ優れた名文だったということだと思う。他所から来た人が眼にして、思わず「ウマイ!」と感心、その場で書き写して帰って広まったのかもしれませんな。街にあふれる名文はなかなか面白いものです。
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2013年6月 4日 (火)
「フィルムで撮ると後が大変でしょ?」結構よく聞かれるのだが、この場合の大変は二通りの意味がある。
ひとつ目は、現像してくれるところが少なくなって、フィルムを出しに行くのが大変という意味。
ふたつ目は、デジカメに比べて、後でスキャナーを使わないとパソコンに取り込めないから手間が掛かって大変という意味。私の場合、ひとつ目はなじみの現像所があるので問題無い、ふたつ目はデジタル一眼レフをスキャナー代わりにしてフィルムを複写する、これだとスキャナより速いし、今のデジタル一眼レフなら画質もいいので、A4ぐらいにプリントするなら問題ないですよと答えている。
「ほう、そういう方法もあるんですね」と驚かれる方もいるが、デジカメなんて、レンズのついた複写装置と思って便利に使ってしまえばいいのだ。
カラーネガフィルムは、フィルムの端っこの何も写っていないオレンジ色の部分でホワイトバランスを取れば大丈夫。
画像処理ソフトで反転させなくてはならないが、一括処理すれば、勝手にやってくれるので手間は掛からない。
フィルムカメラで遊んで、デジイチで複写をもっとみんなやればいいのにと思う。特に中判フィルムカメラには有効な手段だと思うのだが。
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2013年6月 3日 (月)
古いカメラの外装色というのは、圧倒的にクロームメッキの銀色と貼革の黒の二色が多い。
ほとんどそうだといってもいいぐらいこの二色である。キャノンデミのようにカラーバリエーションがあったカメラは本当に少数派といえる。海外のカメラでも同じようなもので、どうやらカメラの色使いというのは銀色と黒が一番しっくりくるのかもしれない。
1960年代ごろから、カメラの外装部品に少しずつだがプラスチックでできたものが使われている。以前から、フィルムカウンターの窓部分には透明プラスチックが使われていたが、それ以外の部分にも使われるようになってきたようだ。
今回紹介するコニカSもフロントマスクのふちがライトグレーのプラスチック製。セレン式露出計の大きな受光窓を隣にある連動距離計窓との一体化でデザインしたつもりなのだろうが、何だか取って付けた様な収まりの悪さ、ちぐはぐ感がある。ライトグレーという色も何だか中途半端な印象だ。
カメラとしては巻き上げレバーの形状が悪いため、予備角で引き出していると構えた時に顔に当たる。特にタテ位置で構えたときには、鼻の穴を直撃するのでうっとうしい。写りがいいだけにその他で損をしているカメラである。
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2013年6月 2日 (日)
あなたは椅子派ですか?地べた派ですか?
わが家では家内は地べた派、いつも畳の上や、冬はホットカーペットの上でごろんごろんしている。私はというと、ちいさな時から正座もあぐらも苦手で完全な椅子派。
特に足をケガしてからはなおさら地べたに座るのはダメになってしまった。だから酒を飲みに行っても座敷の店は敬遠。誘われても座敷かテーブルか聞いて、座敷だったらお断りしている。短時間なら何とかなるが、飲みに行って短時間で終わるはずなど無いので、お断りした方が無難なのである。
地べたに座るのが苦手となると、当然椅子が必要ということになるのだが、これも色々とくせ者で、ふかふかのソファーのような体がグッと沈み込む背の低い椅子はダメ。楽チンそうに見えて、あの手の椅子は案外腰が疲れるのだ。酒を飲ます所ででソファーなんかが置いてあるのは、たぶん高級クラブとかラウンジだと思うので、縁のない私にとっては、疲れる椅子に座りに行くことは一生無いと思うが。
案外座り続けても疲れないのが、安いカウンターだけの焼鳥屋あたりに置いてある丸椅子である。ちょっとお尻を乗せているだけみたいなのが意外と疲れない。何も高級クラブに行けないひがみで言っているのではない、現実の座り心地について述べているだけである。背筋の伸びる椅子の方が楽だということを言いたいだけである。
前振りが長かったが今回は路上の椅子について。街歩きをしていると、公園やバス停のベンチは別として、なぜか路上に置かれている椅子を見かける。
本来室内で使われているはずの椅子が、白昼の路上にあるというのはなんだか違和感を感じて、景色としてはなかなか面白い。廃棄物か、意図的か、看板や目印代わりか、純粋に座って行き交う人々を眺めるための特等席なのか。路上観察学的な考察ができそうである。
しかもこの椅子達、なぜかキチンと置かれている。横倒しになったままとか、天地逆さとかを見かけない。パイプ椅子のように畳んだ状態のも見たことがない。椅子としていつでも使用できるように置かれている。雨風に打たれながらも、腐っても椅子なのか。確かに地に足は着いている。
これは虫干し中のようであった。
オープンテラスというわけでもなさそうであった。
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2013年6月 1日 (土)
長年Macを使い続けてきたのだが、数年前仕事での必要に迫られてWindowsを使わざるを得なくなった。
これからは両刀使いが必要ならば、自宅にもWindowsPCが必要だろうと思い、ショップブランドの安いPC 購入のつもりが、色々調べている内に、元工業高校電気科の血が騒ぎ、部品を買って自作へと道を踏み外してしまったのである。
小学生の頃、ヒノデのトランジスタラジオキットを半田ごて片手に組み立てた身からすれば、部品を取り付けて、ソケットをはめるだけの作業なんざ自作の内に入らんわ。とばかり組み立てること1 時間で完成。通電チェックであっさり動いたマシンに「楽勝やんけ。案ずるより横山やすしじゃ」とタカをくくったのもここまで。
この後Windows セットアップというイバラの道が待っていたのである。マウスでカチカチやってりゃ分かるMac と違って、何かを設定するだけで、山のような時間と解説本が必要なWindows はトコトンつき合うか、触らぬ神にたたりなしでそのまま使うかのどちらしかないOS だと思った。統一感のないインターフェイス、意味不明の用語、この地雷原のような設定の海原を走り抜けた事の顛末を今回のネタにしてみた。
まずいきなり、「30 日以内にライセンス認証を行ってください。」と表示が出た。
自作なので内部構成を変更した途端にこれである。コピーや海賊版が横行するWindows の世界故に、うるさく「ホンマに間違いないな?」と聞いてくるのは分かるが、イライラする。
夜中だというのにさっそくマイクロソフトに電話。「われ、ちゃんと身銭切って買うとるのに、いちいち小うるさい事を聞いてくんのは、どういう事じゃコラ。」と、いちゃもんを付けたかったが、そこはオトナ、かくかくしかじかと説明をし、認証をしてもらった。
これでやっと「疑いのあるWindows」から「ワシのWindows」になったわけである。
本題はここから、各種設定の大海原が待っているのだ。そのままだと何かをする度に、いちいちわけの分からない事をいってくる。
ウイルスから保護するためだったり、つないだ機器が正しく動いているかの監視だったり、それら「サービス」という名の余計なプログラムが裏で色々動いていて、やかましい事この上ない。
さっそく山のような解説本片手に設定である。デジタル画像処理以外の余計な事はしないので、関係ないものをどんどん省いてシンプルに、高速に動くように設定していく。
何かを設定するのにまずプロパティとやらを開く、するとまた設定が並ぶ、それを片っ端から見ていくと、その中に詳細設定というのがあって、それを開けるとまた細かな設定というのがあって、更にそれを……なんじゃコリャーッ。
開けても開けてもまだ中身が見えない。迷宮のラビリンス。ひとつ設定をすると、今どこにいるのか分からなくなっている。解説本がなければ、とてもじゃないがこの迷宮から抜け出す事はできないと考えて、まず解説本数冊を全部読み、使えそうな技やテクニックが出ているページに付箋を貼っていって今度はその付箋をはがしながら全部設定していった。
インストールしたアプリケーション類もすべてセットアップを終えた後、ハードディスクを丸ごとバックアップソフトでコピー、自作マシンはリムーバブルケースでハードディスクを前面から簡単に入れ替えられるように作ったので、調子が悪くなったり壊れたら、コピーしたシステムディスクと入れ替えて即復旧、再インストールなんぞやってられないのでね。
で、あれから幾年月、気がつけばWindowsも「8」とやらになっている。XPのサポートも来年までだそうでもう一度自作するか、Macだけにするか思案中なのである。
Windows(窓)と言うことで窓の写真。
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