写真の力
なぜか写真だけは飽きることなくずっと続いている。シャッターを押すあの一瞬にすべてが完結してしまう即時性が自分のスタンスにあっているのだと思う。
学生の頃からだから、かれこれ30年以上写真を撮っていることになるのだけれど、学生の頃は、カメラを持っているのが楽しいという感じで、行きつけの写真屋さんで知り合った写真好きの仲間と、ワイワイ言いながら撮ったりしていた。
街の写真を撮るようになったのはいつ頃だったか忘れたが、自分の撮る写真の中に少しずつ街の写真の占める割合が増えていって、いつしかそれがメインになっていったのだ。
だから、「よし、これからは街の写真をテーマに撮っていこう」などという決意があったわけではない、自分が面白いと思ったモノが街の景色だったというただそれだけのことである。面白いから続いている。
以前、街の写真を撮っておられる方と二人で写真展をしたことがある。
ある日、関西では有名らしい写真クラブに属しているアマチュアカメラマンが見に来て、散々批評と写真への心構えを語って帰っていったことがあった。
「写真修業が足りない」だの「自分の心象風景をフイルムに定着させるのが写真だ」だの。
その人が帰ってからギャラリーの人とあきれ返ってしまった。
写真修行って一体何?心象風景?どうしてそんなに写真を「表現」や「作品」にしたがるのかそれが私にはわからなかったのである。
写真の根幹はまず記録であると思っているので、バシャバシャ街を撮り歩く私など、心象風景云々などといっていてはカメラを持って家から一歩も出られなくなってしまう。
まず紛れもない事実として、この世にあるすべてのモノは写真に撮られるために存在しているわけではないということだ。
カメラを持てば表現者なんだと勘違いしている人たちが本当に多すぎる時代だった。
それは月例コンテストの写真を見ればよくわかる。
このブログに載せている街の写真は私が面白いと思ったモノしか載せていない、「それは街が面白い」と思っているわたし自身の気持のすべてである。
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