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2013年5月20日 (月)

アパートが教えてくれた

小さな頃、住んでいたのは、木造モルタル二階建てのいわゆる文化住宅といわれていたアパートであった。
今となっては、記憶がかなり曖昧なのだが、確か八世帯ぐらい居たと思う。わが家は一階で、二階に画家だか画学生だかが住んでいて、二階の通路にイーゼルを出して絵を描いていたのを見たことがある。
アパートの前に共同の洗い場と井戸水のポンプがあって、その辺りをいつも三輪車で走り回っていたのを覚えている。
隣は原っぱで、駐車場代わりに父親はここにパブリカを止めていた。マイカーが増えてきた頃だったと思う、休日とかに運転席に座らせてもらって、タクシーごっこなんかして遊んでいた。その後この車はファミリアになって、コロナになった。
アパートの住人は、いずれも似たような家庭ばかりで、子供達は当たり前に友達だったし、皆、近くの同じ銭湯に行き、同じ市場で買い物をして、同じ様な暮らしをしていた。弟はまだ生まれていなくて、親子三人の質素な暮らしだったのだと思う。
調味料の貸し借り、おかずのおすそ分けなんかも当たり前の近所づきあいで、お昼に隣の子といっしょにその家で焼きそばを食べたりしたことも思い出される。アパートのおばちゃん達にとっては、自分の子供も隣の家の子供も一緒の様なものだったのだろう。
当時はアパートの名前も○○荘とか○○文化だった。これが○○コーポとか○○ハイツ、○○マンション、○○レジデンスなんて、なじめない名前に変わりだしてから、人付き合いも薄れていったような気がする。
実家の近くに大きな古いアパートがあった。小学生の頃、このアパートに怪人が住んでいるという噂が立って、学校帰りに二階の廊下を通り抜けるという肝試しをよくやった。薄暗い廊下を歩いている時、部屋のドアが開いたりすると怪人が出てくるんじゃないかと思って本当に怖かった。
毎日子供が通り抜けるものだから、一階の不動産屋のおじさんが怒りまくって、それから行かなくなってしまったが、あのときの怪人は一体誰だったのだろうか、謎のままである。

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