眠る歓楽街
歓楽街にとっての昼間とは、まっとうな生活をしている人にとっての夜である。
つまり、まっとうな生活をしている私にとって、歓楽街の写真を撮るということは、眠っている時間帯を撮ることになってしまうのである。で、まっとうな生活をしている人から見た、歓楽街の夜の写真である。
とはいえ、例外もある。街歩きでうっかり昼割引のソープランドや、昼サロの立ち並ぶ通りに紛れ込んでしまったときなど、昼間から営業中なので、眠る歓楽街とはならず、呼び込みのおっちゃんの「オニーサン、カメラマン?どう、お店の中で取材していかない?」などと言うかけ声に、そういう趣味のない私は、目を会わさぬよう、足早に通り過ぎるだけで正面切って写真が撮れないのである。
もし仮に、お店の中で取材したとしても、たぶんこのブログには載せられない写真になってしまって、裏よもやまカメラを新たに始めなくてはならなくなって困るのである。(何が?)
話が良からぬ方向に行きかけたので戻すが、眠る歓楽街というのは、白日のもとにさらされたけばけばしい看板が、妙にマヌケで寂しさをかもし出している。
夜のネオンの中でこそ、怪しい色気をふりまいて、客寄せに一役買っているのだが、太陽の光のもとではそれが逆効果になるようだ。
つまり、明るい日射しの中なのになぜか薄暗い感じ。こういう看板を撮り歩くのも、ひとつの街の記録、時代の記録だと思っている。
昨夜のらんちき騒ぎを想像させるようなゴミの袋や表に転がる酒瓶のケース、使用済みのおしぼりの山、洗濯物などが人通りのない店の前に置かれていて、なのに人の気配はないという不思議な空間。
特に地方の小都市に行くと、この傾向が強まるようだ。観光客目当ての歓楽街があるところはなぜか人口密度は低いのに歓楽街自体の規模は大きい。そして風俗店の看板がやたら多く、力の入った大がかりなモノなのもなぜか共通している。この巨大歓楽街の眠る時間帯は、本当に見事なぐらい人の気配がない。目抜き通りを歩いても誰ともすれ違わないこともあった。
まさに出演者が現れるまで、置き去りにされている映画のセットのような街。ゴーストタウンというのはこういう感じかもしれない。
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