2013年5月31日 (金)
酒場で飲む時、誰か横に立って、ずっとビデオカメラを回していてくれないものかと時々思う。
いや、実際そんなことをされたら、翌日そのビデオを見て深い自己嫌悪に陥ることは間違いないので、絶対にお断りするが、飲んでしゃべっている時の、あの面白すぎる会話を、翌日まったく思い出せないのが悔しくて仕方ないのだ。
あの、次から次へと繰り出されるギャグや、笑い、どでかい話から、みみっちい細かい話まで、全部記録できたら、毎回ブログのネタに悩むことなど無いのにとつくづく思う。
酒場の時間はなんであんなに楽しく、はかないのか。酒場における、議論、応酬、白熱、和解、意気投合、乾杯の数珠つなぎ。
酒場に縁のない人には、理解できないだろうが、酒場での酒飲みは変幻自在である。
今日はひとりで、静かに飲もうと思っていても、つい隣の人と意気投合、バカ話が盛り上がって、そこは即興宴会パラダイス。
ひとり静かな酒なんぞはどこへやら、仕事ですっかり疲れているはずが、体のどこにこの元気があったのかと、自分自身に驚きながらも、負けじと繰り出すギャグや笑いの大応酬。その場の雰囲気を瞬時によんで、気が付きゃ、グラス片手の七変化、カメレオンも真っ青の馴染みぶり。
お店の側もその辺のことは、商売柄、心得ていて、消えかかった炎に薪をくべるように、話がしょぼくなってきたら、新しい話題で横入りしてきて、場を盛り上げてくれる。
お店の思うつぼだと分かっていながら、盛り上がれば、もう一杯、また一杯と杯を重ねてエンドレスモード。
お店がいいからこうなるのか、単にこちらがアホなのか。酒飲みとはなんと単純な人種なのかと思いつつ、「ああ、楽しかった」で、今日も一日ゴクローサン。幸せいっぱい千鳥足、お約束の乗り過ごし、帰り着いたらバタンキュー、翌朝記憶がございません。楽しかったはずなのに、ああそれなのに、それなのに、思い出は遠い記憶の彼方。
何度同じことを繰り返しても、やめられないのは、ひょっとしてあの楽しかった会話を、今日は思い出せるかもしれないと、意地汚くまた酒場へ向かうからかもしれない。
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2013年5月30日 (木)
好きな写真家のひとり、武田花さんのエッセイ、「煙突やニワトリ」の文章が好きなので、それっぽく街歩きの一日を綴ってみた。
阪神電車に乗って、とある駅で降りた。駅のホームの窓から更地になった工場跡が見える。その先に、同じ形をした建て売り住宅が将棋の駒を横一列に並べたように建っていたので写真を撮って歩き始める。
天気は快晴。本当に雲ひとつ無い。工場のパイプや、窓ガラス、トタン屋根に日射しが当たって、いい形の影を作ってピカピカしているので撮りながら歩く。
近くの川の土手ではラジコンカーを走らせていて、甲高いエンジン音が聞こえてくる。
日射しの当たり具合を見ながら、下町の路地をあっちへ少し、こっちにも少し、うろうろしながら歩き回っていたら、どっちに向かって歩いているのか分からなくなってきた。
たぶんこっちだろうと見当を付けて歩くと広い道路にでた。
路沿いの長屋からパグ犬が出てきたので、カメラを向けると、いきなりぼとぼとウンコをした。顔は泣きそうなままだった。
また路地に紛れ込み、以前車で通りかかった時に見えた貸本屋を探すが見あたらない。
気がつくと違う駅の前だったのでそのまま駅前の商店街を歩く。遅い昼ご飯は、焼き飯とラーメン。
商店街の店と店の隙間から「想い出のサンフランシスコ」が聞こえてきたので、体を滑り込ませるように入っていくと、スナックや小料理屋が軒を連ねる路地だった。
曲は串カツ屋から聞こえてきたが、中の様子は分からない。近くにボンカレーと淋病薬のホーロー看板が掛かっていた。
日が傾いてきたのでそのまま梅田まで歩く。
足が痛くなったので、ヨドバシの中のベンチで一休み。人心地ついたので、串カツでビールを呑んで一日が終わった。
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2013年5月29日 (水)
今まで撮った写真を見返してみると、圧倒的にタテ位置で撮った写真が多い。なぜといわれても多いのだからしょうがない。
これはたぶんヨコ位置写真の広がり感よりタテ位置写真の遠近感が性に合っていたからではないかと思われる。レンズも遠近感が強調される広角24ミリを好んだというのも関係があると思う。
広角レンズといえば28ミリを指す時代、24ミリは超広角レンズとよばれていた。人と同じことが嫌だったので、その少しワイドな24ミリをいつもカメラに付けっぱなしにして街を撮り歩いていた。3メートルにピントを合わせて絞りをF8にしておけば1.5メートルから無限遠までピントが合った。そしていつもタテ位置写真。
24ミリレンズを通して見る街は、手前のものはググッと大きく、遠くのものは突き放すように彼方に追いやられていた。その誇張された世界にはタテ位置写真が絶対しっくり来ると信じていたのだ。
タテかヨコか好きな順で言えばタテ位置写真、ましかく写真、ヨコ位置写真ということになる。
ヨコ位置写真が嫌いというわけではないのだが、見返してみてもあまり撮っていない。
安定感のある構図になりやすいような気がしてなんだか自分の中でしっくりこないのだ。収まりが良すぎるというか、思い切った感がでないというか。どうしてもタテ位置で撮ってしまう。
最近になってヨコもそれなりに撮るようになったが、どうやら人間がまだまだタテヨコ縦横無尽というわけにはいかないようである。
タテ位置で構えたとき、ファインダーを覗いてピタリと決まるカメラはいいカメラだと思っている。だからミラーレスだとかファインダーの無いカメラは好きになれない。
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2013年5月28日 (火)
フィルムメーカーというのは自社のフィルムを使ってもらわなくてはならないので、当然のようにカメラもたくさん出している。フジ、コニカ、コダック、アグファなどがそうだが、カメラだけのメーカーよりたくさん出しているのではないか、とにかく数は多い。
しかも高級機といわれるカメラより大衆向けのカメラが充実している。カメラにお金をかけるよりフィルムをたくさん使ってもらうことを考えれば当然であるが。
よく、フィルムメーカーのカメラはよく写るとか、はずれが無いとか言われるが、私もそう思っている。私の場合、国産カメラが好きなので、フジとコニカをよく使うが、フジはフジノン、コニカはヘキサーとヘキサノン、どちらもカメラファンならご存知の定評のあるレンズがついていて確かにはずれが無い、実によく写る。
フィルムを知り尽くしたメーカーの作るカメラは、一流レストランのシェフが作るカレーライスとでも言えばいいのだろうか、たかがカレーライスでもそこは一流の本気が隠し味ということだ。
気軽に持ち歩けてよく写るカメラ、これでいい写真が撮れなければそれは腕のせい、もっとフィルムを使って勉強しなさいヨというフィルムメーカーの気持ちがカメラに表れている。
フィルム屋さんのカメラよく写る、インディアンうそつかない。で、コレはFujica35-SE F2.8レンズつきで撮影したもの。
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2013年5月27日 (月)
街歩きで、出くわす名文句というのには、いくつかのパターンがあるように思う。
自信にあふれたもの、その反対なもの、短い一言で端的に表現しているもの、語り上げるような文章で、長々と説明しているものなどである。
まあ、いずれにしても、何か世に問いたいものがあってわざわざそれを表に出しているという点では共通なので、その気持ちにお答えすべく読み、写真に撮らせていただくというのがこちらのスタンスであるのだが。
お店や、建物の表に掲げてある名文句なら、街歩きをしながら見る事ができるが、店の中などに書かれているものに関しては、その店に入ってみるまで分からない。関西なら串カツ屋の「ソース二度づけお断り」などがそれに当たる。しかし、この「ソース二度づけ」文も店のランクというか、客層によって微妙に違っていて面白いもので、ちょっと小ぎれいな、座って食べられる店だと「ソースは一度づけでお願いします」と、ていねいに書いてあったりする。
これが立ち飲みで、昼間から、おっさん連中が呑んでいるような店だと、断定的に一言、「二度づけ厳禁!」になってしまう。まあ、一般人よりはるかに串カツ度合いの高いおっさん達にとって、いちいち言われなくても分かっている事なのだが、串カツ屋にこれがないと何となく串カツの味まで変わってしまうような気がするので、なくてはならない名文句だといえる。
そういえば何年か前、駅にある立ち食いそば屋がリニューアルしたときのこと、いわゆる駅そばなのだが、カウンターの端の方が、調理場からやや死角になっていて見えにくい。
店を切り盛りしているのは年輩のパートのおばちゃん達である。おしゃべりに夢中になっていると、食券を出しているのに全然気がつかなくて、かなり大声で言わないと気がついてくれない事が多々あった。
気がついてからも、おしゃべりしながら作るので遅い、うどんとそばを間違えるなど、どうしようもない。立ち食いそばですぐに出てこないなどというのは一体どういう事だと思いふと、前を見ると、壁に貼り紙が。
「まだ慣れていないので、ご了承下さい。」
お客をなめているとしか思えない、ある意味名文句である。さすがにクレームが付いたのか、しばらくして行くと無くなっていた。
巨大串カツディスプレイ。
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2013年5月26日 (日)
シャッターは切れるが、ファインダー前面のガラスは真っ二つに割れて、ストラップを着ける金具は変形。レンズがまだきれいなだけが救いの完全ジャンク品300円也。
ダメなら分解修理の練習用にと、お持ち帰りして、そのまま放ったらかしにしていたカメラである。ロッコールレンズは使ってみたかったので、いつかはと思いながら、なかなか修理できないでいた。
別の中古カメラ屋さんで同じカメラのレンズとシャッターがダメなものを偶然見つけ、さっそく2台から良い所取りをして組み上げた。分解のときに出た使えそうな部品はストック。時間はかかったがちゃんと写真が撮れるようになった。
このカメラ距離計に贅沢にもプリズムを使っている。当時の広告に、狂わない複合プリズムを使った豪華なルミフレームファインダーとある。
さらに白金ルツボから生まれた稀元素を含む高価な新種ガラスLak使用の超鮮鋭レンズとも書いてある。レンズにも期待が持てそうなそそるキャッチコピーだ。
巻き上げレバーの角度が大きくて、ぐるーり180度以上巻き上げないといけない所が速写向きではないが、距離計は見やすく、ピント合わせはしやすい。レンズ鏡胴の文字も見やすいし、手にした感じもちょうどよく、一日のんびりこれ一台で撮り歩くには実にイイ感じのカメラである。
久々に持ち出したので、ROKKOR-PF 45mm F2レンズを開放で使ってみようと南京町で夜景を撮ってみた。
夜景なので当然露出計は役に立たない、勘で露出を決める。ネオンの明るさを見て、絞はF2、シャッターは30分の1秒(フィルムは感度100のリバーサル)にし撮り歩いた。
南京町はカメラのテストで夜景撮りをする際によく歩く、ネオンサインがレンズテストにもってこいだし、観光地なので、あっちこっちを撮っていても文句を言われることも無い、じっくり撮影できるからである。
撮影の後はこの界隈にある行きつけの立ち飲み、「赤松酒店」で一杯。実はコレがテスト撮影の一番大事な部分だったりするのである。
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2013年5月25日 (土)
学校を出て勤めだした最初の会社は、コテコテの典型的な町工場だった。
隣近所にも、文化住宅や商店にはさまれながら家族ぐるみで操業しているような小さな町工場がたくさんあった。
向かいは大手高級菓子メーカーの下請けをしている焼き菓子の工場で、売り物にならない割れたクッキーをパートのおばちゃんが時々分けてくれた。そしていつも決まった時間に、甘いバターとバニラやチョコレートのにおいがしてきて辺り一帯がお菓子の匂いに包まれ、なんだか幸せな感じがしたのを思い出す。
しかし、これも風向きが変わると、近くのゴム工場の溶けたゴムのツンとくる臭いにかき消されてしまったのだが。
見た目だけでなく、音や臭い、働く人のいでたちでどんな工場なのかおおよそ見当がつくのも町工場の町工場らしさだといえるだろう。町工場にはそこでやっている仕事の表情があると思う。大企業の巨大工場のような効率と大量生産が目的の工場とは違う人の手によるもの作りの場の空気があるからである。
前述の勤めていた会社も町工場だったが、そこに出入りするさらに下請けの会社のおっちゃんたちも皆、町工場の職人さんたちだった。溶接工、旋盤工、塗装工、板金工等々。
九州から中学卒業後、集団就職で神戸にきた人たちが特に多くて、総じて酒好き、バクチ好き、大きな事を言う割にはいざとなったら結構気が小さい、頑固でヘンコ、しらふの時は「今日びの若いモンは、」と否定的なものの言い方だが、酒が入ると「若い人はええ。」と肯定的なものの言い様になる、取っつきにくそうに見えるが、こちらが困ってあたふたしていると「しゃぁないやっちゃ」といいながらも助けてくれる優しさがある、ふだんは無口だが、子供のことになると饒舌、仕事に対しては責任感が強く、「最後はワシがやらなアカン」的、職人技を持っていて皆さんその道の達人で信頼されていた。
職人さんも魅力的だが、工場そのものも町工場的なところがある。特に面白いのは、たいていの工場が前の道を勝手に自分のものにしているという点だ。
自動車の塗装工場の前の道はペンキの色がいっぱい付いているし、鉄工所の前は溶接の火花の跡がついている。旋盤工場の前は油でシミになっていて、ドラム缶に金属の切りくずが放り込まれて置き去りになっている。木工所の前には木の板が何本も立て掛けられているという具合だ。
町工場にとって仕事場の前の道は敷地の内なのである。
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2013年5月24日 (金)
距離計連動カメラでありながら、庶民の手が届く価格で一世を風靡し、日本のカメラ史に名を残すカメラ初代キャノネットである。
一週間分の在庫が発売2時間で完売したというエピソードがキヤノンカメラミュージアムに出ている。
そのせいもあってか、ジャンクでもよく見かけるカメラなのだが、いざ分解修理してみようとすると結構てこずるカメラなのだ。てこずりながらも何とか直していざ撮影してみてもカメラにオーラがないというか、使っていてアレ?なカメラなのである。
レンズは明るいのだが特に印象的な写りとは思えなかったし、底部トリガーレバー式の巻き上げは縦位置に構えたときには使いづらく、裏ぶたの開閉もレバーとボタン併用で開けにくく、リターンもボタンで無くレバー式で古臭い。
何より最悪なのがシャッターボタンの感触、トイカメラでももうちょっとマシではないのかというぐらいおもちゃっぽい押し心地でがっかりする。
何でこのカメラが名を残すことになったのかは、結局値段だけだったのかなという気がしてしまう、私にとっては直し甲斐の無かったカメラとして記憶に残った。
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2013年5月23日 (木)
カメラの修理にハマッてしまった最初の頃は、とにかくいろんなカメラを分解してみたくて、休日ごとに中古カメラ屋さんへジャンクカメラをあさりに出かけていた。
カメラの種類うんぬんより、今の自分のスキルで直せそうかどうかを基準にカメラを探して買っていたので、カメラのデザインとかあまり気にしていなかったのである。
そうなると当然、直して写るように完治させたものの、あまり好みでなかったり、思ったほどの写りぐあいでなかったりすると、持ち出す機会が少なくなって使われないまま、防湿庫の片隅で放っとかれるものも出てくる。
思い出したように、年に何回かは取り出してはみるものの、やはりあまり使おうという気になれず、動作確認だけしてまた元の場所に戻すということになる。
そうしてカメラは増えていくが、素人修理のカメラを中古カメラ屋さんに売りに行くのはマナー違反なので持って行くわけにはいかない。いくら上手に直したつもりでも、プロの修理人の仕事とはレベルが違うからだ。
散々いじくり倒してどうしようもなくなったカメラを平気でネットオークションで売る人がいるが、これはカメラに対して失礼というものだ。直せないのなら分解しようとせずに最初から修理屋さんに持って行けということである。
せっかく直したのに使われないまま眠らせておくのは、カメラにとっても気の毒なことなのでどうするかというと、欲しいという人にあげるのが一番だと思う。
ま、ビール一本おごってもらうぐらいで差し上げるのが相当ではないか。
分解、修理で楽しませてもらって、その上写真まで撮ったのだから、もう充分満足したと考えて、フィルムカメラに興味のある人にこれからは使ってもらう。その人がさらにカメラに興味を持ってくれればいいことだし、もともとジャンクのカメラだったのだ。少しでも長生きして使ってもらえる方がいいに決まっている。
元町トアウエストのジャンクショップという名のお店、どうやら雑貨屋さんのようだ。
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2013年5月22日 (水)
パソコンを使っている方なら、データを失った経験は一度や二度はあるはずだ。どんなに大事なデータでも、パソコンの場合消えるときは一瞬、どうにもならない。
そこでバックアップということになるのだが、自宅のWindows機は自作したパソコンなので、ハードディスクをすべてリムーバブルケースにして、前面から抜き差しできるようにし、簡単にバックアップが取れるようにしている。
Macはタイムマシンという優れたバックアップユーティリティがあるので、外付けのハードディスクをつないでおけば、勝手にやってくれるが、Windowsの場合はそうはいかないのでデータをシンクロしてくれるフリーウエアでバックアップしている。
RAIDを組んだこともあったが、これも一長一短で、複数のハードディスクにデータを分散してバックアップできるということは、間違ったデータを書き込めば、それが即座にすべてのハードディスクに反映されるということで、完全なバックアップとはいえない。
結局、単独のハードディスクにフリーウエアを使ってバックアップを取るのが一番確実だということに落ち着いた。写真のデータは、この方法で3台のハードディスクに同じデータが入っている。ハードディスクもある日突然壊れた経験があるので、全面的に信用してなく3台に保存している。毎日のバックアップと、週一回のバックアップの2本立てで保存。ハードディスクだらけになってしまうが、データを失うよりはマシだと思っている。
ハードディスクは容量が増えて、値段が下がっていくので、2年ぐらいで総入れ替え、DVDや、ブルーレイは容量が小さいので、安くなったハードディスクに保存するのが今は一番現実的だと思う。
まさに時は金なり。バックアップのような作業に時間をとられるのはもったいない。単純で確実な方法を日常化しておきたいものだ。
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2013年5月21日 (火)
何年か前、FMラジオをつけっぱなしていて、気になることがあった。
若い人たちに60年代70年代のロックが流行っているのかどうだか知らないが、その日はエリッククラプトン特集で、クリームやデレク&ドミノス時代のものがたくさんかかってよかったのだが、女性DJがエリッククラプトンをクラプトンおじさんと呼ぶのにイラっときてしまったのである。
ロック少年だった私にとってクラプトンは神様みたいなものであった。聴く時はくだけた格好で聴いていてもココロは正座していたものである。
しかし、最近のFMラジオのDJは、よ~しゃべりますな。
AM放送の深夜番組のパーソナリティー並みに、キャピキャピと、ずーっとしゃべっている。
私がレコパル片手にFMエアチェック(今となっては死語、分かる人は多分同世代。)に一生懸命だった頃、DJというのは、曲の説明をきちんとしてそれ以外はあまりしゃべらなかったように思う。
しゃべり自体もインテリジェンスを感じる落ち着いたしゃべりで、聞く値打ちがあった。音楽もよかったし、選曲もとても凝っていた。
今は音楽自体が全然ダメ。曲はどっかで聞いたことのあるようなアレンジばかりだし、歌詞は言い訳めいたようなものばかりだし、唄い方は超音波のような金切り声か、何を言ってるのか分からないボソボソとした英語みたいな巻き舌の「何カッコつけとんじゃい」的発音でさっぱり聞き取れない。音楽そのものの値打ちがどんどん無くなっていっているような気がする。
iTunesなどのおかげで手軽に音楽が聴けるようになったのはありがたいことだが、その分一曲の重みが無くなったというか、ある種「使い捨て」ならぬ「聴き捨て」感覚になっているのかもしれない。
なけなしの小遣いで、友達とダブらないように厳選して一枚のLPを買い、カセットテープに落として貸し借りして、夜中にステレオの前に座り込んでヘッドホンで何度も何度も聞いていたあの頃が懐かしい。
この方は演歌の神様。十三のレコード屋さんで金ぴかの銅像がひときわ輝いていた。タワーレコードだのHMVだの無かった時代レコード屋さんは楽しかった。
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2013年5月20日 (月)
小さな頃、住んでいたのは、木造モルタル二階建てのいわゆる文化住宅といわれていたアパートであった。
今となっては、記憶がかなり曖昧なのだが、確か八世帯ぐらい居たと思う。わが家は一階で、二階に画家だか画学生だかが住んでいて、二階の通路にイーゼルを出して絵を描いていたのを見たことがある。
アパートの前に共同の洗い場と井戸水のポンプがあって、その辺りをいつも三輪車で走り回っていたのを覚えている。
隣は原っぱで、駐車場代わりに父親はここにパブリカを止めていた。マイカーが増えてきた頃だったと思う、休日とかに運転席に座らせてもらって、タクシーごっこなんかして遊んでいた。その後この車はファミリアになって、コロナになった。
アパートの住人は、いずれも似たような家庭ばかりで、子供達は当たり前に友達だったし、皆、近くの同じ銭湯に行き、同じ市場で買い物をして、同じ様な暮らしをしていた。弟はまだ生まれていなくて、親子三人の質素な暮らしだったのだと思う。
調味料の貸し借り、おかずのおすそ分けなんかも当たり前の近所づきあいで、お昼に隣の子といっしょにその家で焼きそばを食べたりしたことも思い出される。アパートのおばちゃん達にとっては、自分の子供も隣の家の子供も一緒の様なものだったのだろう。
当時はアパートの名前も○○荘とか○○文化だった。これが○○コーポとか○○ハイツ、○○マンション、○○レジデンスなんて、なじめない名前に変わりだしてから、人付き合いも薄れていったような気がする。
実家の近くに大きな古いアパートがあった。小学生の頃、このアパートに怪人が住んでいるという噂が立って、学校帰りに二階の廊下を通り抜けるという肝試しをよくやった。薄暗い廊下を歩いている時、部屋のドアが開いたりすると怪人が出てくるんじゃないかと思って本当に怖かった。
毎日子供が通り抜けるものだから、一階の不動産屋のおじさんが怒りまくって、それから行かなくなってしまったが、あのときの怪人は一体誰だったのだろうか、謎のままである。
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2013年5月19日 (日)
35ミリでましかく写真がとれるカメラの中で、テナックス、タクソナといえばボディ前面の押し下げる方式の巻き上げレバーの形が招き猫の手のように見える事から日本では「招き猫」というあだ名が付いているが、これもすばやく巻き上げをするためのアイデアだったのだと思う。
今回取り上げたテナックスⅡは、1938年ツァイス・イコン製。「招き猫」はこのⅡ型はカメラを構えて右手側、速写ができるということだが、結構重たく、スムーズとはいいがたい。
文献などによると、あまり速く操作すると故障の原因になると書いてあるものもあった。古いカメラなので、無理をしないで使ってやるべきだろう。このレバーの存在がデザイン上のアクセントになっていて、なんともドイツらしいかっこよさがある。作りも良く、とても70年以上も前のカメラとは思えない美しさがある。
交換レンズは4本、広角27mm、標準40mmは2種類、それと望遠75mmが用意されていたが、標準レンズしか持っていないし、他のレンズは写真でしか見たことが無い。
一度某中古カメラ屋さんのホームページで広角レンズが出ていたので一体幾らぐらいするものなのか問い合わせてみたところプロ用デジタル一眼レフが買えるぐらいの値段でビックリしたことがある。それだけ交換レンズが少ないということだと思う。
一台は距離計がダメで、フィート表示をメートルに頭の中で換算しながら目測で撮影するか距離計を持ち歩くかしなくてはならないが、使っていて楽しいカメラである。
機械の工作精度が高いのか、フィルムのコマ間隔のバラつきが全くない、マミヤスケッチと違って36枚撮りフィルムが使えるのもいい。
コンパクトとは言いがたいカメラだが、首から提げていると存在感があって気分がいい。もちろん写り具合も素晴らしいのひとこと。35ミリでましかく好きにオススメしたい一台である。
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2013年5月18日 (土)
最近、トンとお目にかからなくなったおみくじマシン。
喫茶店やドライブインのテーブルの隅に何故か必ずあったものである。上面が灰皿になっていたものや、おみくじの替わりにピーナツがでてくるのもあった。
巻物のようなおみくじがでてくるのが楽しくて、ちいさな頃、親によくせがんだものである。
正式な名称はなんというのか調べてやろうとネットで探してみたところ、作っている最後の工場を取材した記事が出てきてそれによると「卓上小型自動販売機」という名称の自販機の一種なのだそうだ。
一回100 円、だからどうしたと言われればそれまでなのだが、初詣の時に引くおみくじも300 円とか500 円ぼったくられるご時世なので、低価格で夢と希望を提供していると言うことではおみくじ界のダイソーかも。
そういえばトワイライトゾーンというアメリカのテレビ番組で、ドライブインだかカフェだかのおみくじマシーンに運命を振り回される新婚カップルの話があった。
カップルの男の方が、スタートレックのカーク船長役で有名なウイリアム・シャトナーだったので何故か記憶している。タイトルは「素晴らしき未来」だったと思う。
ウイリアム・シャトナーは他に「2 万フィートの戦慄」にも出ていたな、まあどうでもいいことだけど。
今でもこの機械は作られているそうで、どういうお店に置かれているのか分からないが、神戸で見かけた方はゼヒご一報を。
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2013年5月17日 (金)
街の写真ばかり撮っているせいか、ファインダーを覗くとき、画面の四隅に気を配るようになった。
ファインダー視野率の低い一眼レフだと、撮った写真の端っこに電柱がチラッと写っていたり、余計なものが写り込みやすいからだ。使い慣れたカメラだとそれを予測して撮るようになる。
EOS-1Nを使っていたときはファインダー視野率が100%たったので、そういうことに神経を使わなくても見たままが写っていたのだが、古いレンジファインダーのカメラを使いだして、少々周りのものが写りこむのは覚悟の上で撮るようになった。一眼レフのような厳密なフレーミングは構造上望めないからだ。
むしろ、それを面白がるぐらいの大らかさで写真を撮る方がいいタイミングでシャッターが切れると思う。
デジタル一眼レフを持つ人が増えたが、ほとんどのカメラがファインダー視野率90%台なので、ぐれぐれも画面の四隅に気を配って撮って欲しいと思う。
できれば画面の隅っこに置いたものがどれぐらいの範囲で写り込むのか、デジタル一眼レフならすぐに試せるので自分のカメラで試してちゃんと知っておくといい、これ結構大事なことです。
後でトリミングできるからと、最初からいい加減な撮り方をしてはいけない、ファインダーできちんとフレーミングするのがキホンだ。
ファインダーを見て隅々に注意して撮るのがキホンなのに、ファインダーの無いカメラが増えてしまって、コレでいいのかとオジサン嘆き中。写真は元町、高級ランジェリーの店のようだが小さなショーウインドーのディスプレイが額縁のように見えたので一枚。
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2013年5月16日 (木)
リコーフレックスといえば、1950年から始まる二眼レフカメラの大ブームの火付け役といわれているカメラで、当時のカメラの価格は2~3万円だったところへ6800円という低価格で発売され爆発的な大人気になった。
定価販売の銀座三愛には買い求める人の行列ができ、街中では1万1千円のプレミアム価格で取引されたほどで、日本のカメラ普及のきっかけになった歴史に残るカメラである。
と、ここまではリコーのHPやネットで検索をかければいくらでも見つけられる情報なので単なる史実でしかない。
ただ、価格のことばかりが言われるが、カメラとしての写りもよくなければ大人気にはならなかったはずで、それは実際に撮ってみて実証済みである。
ホント良く写ります。
低価格な大衆向けカメラということで、人気を博した反面、操作部分には高級感が全く無い、むしろ安っぽさが漂う。シャッターを操作しても「大丈夫か?」と思ってしまうし、ファインダーは暗くて「ちゃんとピントが合ったかな?」だし、撮影している間中、ずっと「本当に、撮れているのだろうか?」と不安に駆られる。
使い勝手がトイカメラっぽいといえば分かりやすいかも知れない、出来上がったフィルムを見ればそんな不安は消し飛ぶのだけれど。使う側の心配はよそに、本当はできる子なのである。二眼レフカメラとしては小さく軽い。飾り気の無いいでたちがかえって新鮮で新しさを感じさせる素敵なカメラである。
上の写真はリコーフレックスⅦ型にケンコーのカブセ型フードを見つけてきて着けたところ、下の写真は撮影後のフィルム巻き上げを忘れて多重露光してしまったもの。セルフコッキング(フィルム巻き上げに連動してシャッターチャージされるもの)なんて無いカメラなので、撮ったら必ず巻き上げるようにしておかないとこのようなミスをする。
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2013年5月15日 (水)
最近本を読まなくなってしまった。いや、実際は読んでいるのだが、専門書やカメラ関連の資料ばかりになってしまって、小説や文学の類を全く読んでいない。
読みたくなる本が無い訳ではないのだが、新聞の書評欄を見てそれで満足してしまってそのまま忘れているのだ。
時間が無くて読めないというのが言い訳でしかないのはよく分かっている。学生の頃など、あれだけの量を忙しい合間にちゃんと読んでいたのだから。(結局はヒマだったということだろうけど。)
とにかく、何かきっかけがあれば読むのだが、そのきっかけがなかなか作れない。
朝の電車の中で読もうと思っても、ぎゅうぎゅう詰めで、本を広げる隙間もないし、運よく座れても、すぐに眠りこけてしまう。
カバンの中には、いつまでも読みかけの本が入ったまんまで、気がつけば、ブックカバーもボロボロ、挟んだしおりもどこかへ行ってしまい、どこまで読んだかも忘れている。で、そのまんま読まずにほったらかし。
これではイカン、たまには本でもと時間ができたときに本屋に行くが、山のような「今月の新刊」コーナーにまずうんざり、何でこんなに出版するの?と思いつつ、聞いたこともない作家の本ばかりなのに今度はげんなり。
手にとってみても、腰巻きに書いてあるキャッチコピーを読んだらもうそれで読まなくてもいいっかと思ってしまう本ばかり。
ならば学生の頃に読んだ本をもう一度読み返してやろうと思って、ほんの検索用タッチパネル端末で探してみるが「絶版」「お取り寄せ」と木で鼻をくくったような返事しかかえってこない。
ネットですぐに探せる時代に、わざわざ本屋まで来てやったというのに何で?
そうなると仕方がないので、古本屋で探そうとするが、小さな古本屋は閉まる時間が早くて開いていない、ブックオフのような大型中古書店は古すぎる本はあまり無い。
たまに、まじめに本を読もうと思っているのに、本屋が全然味方をしてくれないのはどういうことだ?
2005年東京都文京区、貸本なんて死語かと思っていたら、最近はレンタルDVD屋さんでコミックの貸し出しをしているそうですな、知りませんでした。
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2013年5月14日 (火)
歓楽街にとっての昼間とは、まっとうな生活をしている人にとっての夜である。
つまり、まっとうな生活をしている私にとって、歓楽街の写真を撮るということは、眠っている時間帯を撮ることになってしまうのである。で、まっとうな生活をしている人から見た、歓楽街の夜の写真である。
とはいえ、例外もある。街歩きでうっかり昼割引のソープランドや、昼サロの立ち並ぶ通りに紛れ込んでしまったときなど、昼間から営業中なので、眠る歓楽街とはならず、呼び込みのおっちゃんの「オニーサン、カメラマン?どう、お店の中で取材していかない?」などと言うかけ声に、そういう趣味のない私は、目を会わさぬよう、足早に通り過ぎるだけで正面切って写真が撮れないのである。
もし仮に、お店の中で取材したとしても、たぶんこのブログには載せられない写真になってしまって、裏よもやまカメラを新たに始めなくてはならなくなって困るのである。(何が?)
話が良からぬ方向に行きかけたので戻すが、眠る歓楽街というのは、白日のもとにさらされたけばけばしい看板が、妙にマヌケで寂しさをかもし出している。
夜のネオンの中でこそ、怪しい色気をふりまいて、客寄せに一役買っているのだが、太陽の光のもとではそれが逆効果になるようだ。
つまり、明るい日射しの中なのになぜか薄暗い感じ。こういう看板を撮り歩くのも、ひとつの街の記録、時代の記録だと思っている。
昨夜のらんちき騒ぎを想像させるようなゴミの袋や表に転がる酒瓶のケース、使用済みのおしぼりの山、洗濯物などが人通りのない店の前に置かれていて、なのに人の気配はないという不思議な空間。
特に地方の小都市に行くと、この傾向が強まるようだ。観光客目当ての歓楽街があるところはなぜか人口密度は低いのに歓楽街自体の規模は大きい。そして風俗店の看板がやたら多く、力の入った大がかりなモノなのもなぜか共通している。この巨大歓楽街の眠る時間帯は、本当に見事なぐらい人の気配がない。目抜き通りを歩いても誰ともすれ違わないこともあった。
まさに出演者が現れるまで、置き去りにされている映画のセットのような街。ゴーストタウンというのはこういう感じかもしれない。
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2013年5月13日 (月)
最近のカメラの中で、面構えがいいなと思ったのはフジXシリーズ。実はすごいテクノロジーが詰まっているのだが、それをチョッとクラシックなテイストで包んでいる所がデキるカメラという感じを醸し出していて好感が持てる。
フィルムカメラならフジのクラッセという線もあるが、コシナ製ツァイスイコンを推しておきたい、直線で構成されたデザインはとてもクールでクラシックさもありながら現代風でもある、特に真正面がいい、欲しいカメラの一台である、ただレンズ地獄に堕ちていきそうなので、目を合わさないようにしているだけだ。
今回取り上げたKONICA auto S2も真正面に自信有りのカッコいいきれいなカメラだと思う。
35mmカメラとしては大きいし、重いしなのだがそれを少しでも小さく見せるようにデザインを工夫しようという気などサラサラございませんという押し出しの強さが、中古カメラ屋さんのジャンクワゴンの中でひときわ輝いていたのである。
修理もかねて分解してみると、メーターはあの露出計で有名なセコニック製のものが使われていた。鏡胴がややがたつくのだが、これはヘリコイドグリスを交換しないと直らないというのを修理屋さんのブログで見たことがあったので、無理をせずこのまま使うことに。全体をきれいにして、モルト貼替えで完治。
大きなカメラだけに持ちやすいが、巻き上げレバーのガリガリ音が気になる。デザインがいいだけに惜しい感じもするが写りは存在感があって大変よかったので小さなことは気にしないようにしよう。
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2013年5月12日 (日)
昔、ガロの「学生街の喫茶店」という曲があったが、町工場が立ち並ぶ街の喫茶店も面白い。学生も就職すれば打合せなどで工場街の喫茶店に行く事があるかもしれないということだ。
繁華街や市場の喫茶店と工場街、特に小さな町工場の集まるところにあるような喫茶店との大きな違いというのはたくさんあるが、まず言えるのが、土・日曜が休みの所が多いこと。
周りの会社が休みなのに開けていてもほとんどお客は来ないからだ。
その次に、会社の事務所の延長率が高いこと。大体こういう喫茶店は周りの会社の打合せ場所として利用されることが多くて、大事なお客さんが来るとたいてい部長や専務あたりが「ちょっとそこの喫茶店で話ししましょか」と連れ出す。会社だと機械の音とかがうるさいからだ。こうなると喫茶店も事務所の一部である。
小さな会社は、社長、専務が平社員よりも早く会社に来ていることが多い。重役出勤などと言うのをあまり見かけたことがない。
早く出勤した分、他の者達が働きだしたのを見計らって、「ちょっとモーニング喰ってくるわ」と喫茶店にスポーツ新聞を読みに行ってしまう。この場合、喫茶店は社長室代わりになるのである。
出前率が高いというのもある。たとえば親会社の製品検査の日などで手が離せない時などは、たいてい出前である。
小さな喫茶店などはマスターが出前に出てしまうと店に人がいなくなるので、会社の女性事務員がウエイトレスよろしく出前を取りに行くわけである。いかにも地域密着型喫茶店という感じがする。
しかし、なんといっても大きな特徴は、昼食のメニューが豊富な点だ。
プリンアラモードやチーズケーキは無くても、カレー、焼き飯はもちろん、日替わり定食、焼肉定食、焼きそば定食の類は必ずある。うどんなどの麺類があるところも多い。たいていコーヒーとセットになっている。
昼飯の後にコーヒーをすすりながら、スポーツ新聞で競馬やボートレースの予想をすると、ちゃんとマスターがノミ屋もやってくれるという、まさに至れり尽くせりのサービスがある喫茶店も以前はあった。
今時のセルフサービスの喫茶店しか知らない世代には通じない話なのかもしれないが。
街を撮り歩いていて、この喫茶店に出くわしたときには思わずその場にへたり込みそうになりましたわ。カッコ良過ぎ、こういう出会いがあるから街歩きは止められまへんな。何で風と共に去りぬやネンなどと、下らないツッコミは無しで。
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2013年5月11日 (土)
長年のクセというか、そのほうが使いやすかったからというか、一眼レフの交換レンズにキャップをほとんどしない。
一日撮り歩いて、最後にバッグにしまう時にはもちろんキャップをするが、途中ではリアキャップだけで、フロントキャップはしない、その代わりレンズフードは常時付けっぱなしである。
しまう時にはずして逆さにかぶせたりもしない。広角レンズの花形フードも回ってしまうのが嫌なので、付けっぱなしをさらにテープなどで固定している。
レンズにとってキャップよりフードのほうが役目としては重要と思っているので、お気に入りのレンズの専用フードは中古カメラ屋さんで見つけるたびに買い込み、壊したとき用に何個かストックしている。
フードをつけているからキャップがしにくいというのもあるのだが、ズームレンズを使っていなかった頃はレンズ交換が素早くできるようにバッグのどこにどのレンズを入れるかも決めていて、レンズの先が下を向くようにして入れていた、こうしておくと意外とほこりは付かなかった、手探りでも必要なレンズに交換できるようにいろいろ工夫していたのである。
古いカメラを使うようになって、さらにフードの重要性を感じるようになった。今時のレンズに比べると、はるかに逆光に弱いからだ。ガラスの材質や、レンズコーティングの技術的な問題もあってこればっかりはどうしようもないのだが、きちんとフードを付けることで改善されるのならぜひ付けたいものである。
ただし、純正品は見つからないか、見つかってもコレクターの足元を見たバカ高い値段が付けられていることがほとんどなので、そういうのは無視してジャンクワゴンで合うものを見つけたほうが賢明だ。
高倍率ズームレンズ一本で全部すんでしまう今となっては、どうでもいい話なのかもしれないが。
某クラシックカメラでのかなりひどい例。フードがあれば回避できたと思う。トイカメラファンの方々はこういうのも面白いというのでしょうかね。私としては論外の写真ですけど。
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2013年5月10日 (金)
20135月11、12日の土日、13th 姫路クラフト・アートフェアなる催しがが開催されるそうだ。
場所は姫路城の裏側の姫路シロトピア公園、テント仕立てのブースに陶芸、木工、ガラス、染、織、服飾、金工、皮革等々が展示即売される催しらしい。
いろいろなジャンルの作家が作ったものを売るのがクラフトフェアでいわゆるフリーマーケットとは全く違うもののようだ。
ホームページのキャッチコピーによると
5月の心地よい空の下、のんびり、ゆったりと、個性豊かなクラフト・アート作家との交流を通し手仕事の温かみにふれられるイベントです。144組の作家による展示販売やワークショップコーナー、地元の味を楽しめる食のコーナーなどもあります。ぜひ、あなたのお気に入りを見つけにきてください。とある。
実はこのような催しがあるというのも知らなかったのだが、今回家人が出品するので手伝いがてら見に行ってみようと思っている。
ついでに姫路の街をぶらぶら、カメラ片手に撮り歩いて新生軒でラーメン食べて、立ち飲みで一杯飲んで、ハトヤで蒲鉾買って…
えっ手伝い? あ、忘れてました。
クラフト作品に興味のある方はぜひどうぞ。ホームページはコチラhttp://himejicraft.jpn.org/index.html
2005年に姫路で撮影した看板。国民服、将校服が山本式特許仕立法でスーツにリメイクできるという内容がかなり強引だがクラフト的かなと思った次第。しかし平成の世の中にこの看板がまだ残っているというのがまさに驚異ではある。
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2013年5月 9日 (木)
なぜか写真だけは飽きることなくずっと続いている。シャッターを押すあの一瞬にすべてが完結してしまう即時性が自分のスタンスにあっているのだと思う。
学生の頃からだから、かれこれ30年以上写真を撮っていることになるのだけれど、学生の頃は、カメラを持っているのが楽しいという感じで、行きつけの写真屋さんで知り合った写真好きの仲間と、ワイワイ言いながら撮ったりしていた。
街の写真を撮るようになったのはいつ頃だったか忘れたが、自分の撮る写真の中に少しずつ街の写真の占める割合が増えていって、いつしかそれがメインになっていったのだ。
だから、「よし、これからは街の写真をテーマに撮っていこう」などという決意があったわけではない、自分が面白いと思ったモノが街の景色だったというただそれだけのことである。面白いから続いている。
以前、街の写真を撮っておられる方と二人で写真展をしたことがある。
ある日、関西では有名らしい写真クラブに属しているアマチュアカメラマンが見に来て、散々批評と写真への心構えを語って帰っていったことがあった。
「写真修業が足りない」だの「自分の心象風景をフイルムに定着させるのが写真だ」だの。
その人が帰ってからギャラリーの人とあきれ返ってしまった。
写真修行って一体何?心象風景?どうしてそんなに写真を「表現」や「作品」にしたがるのかそれが私にはわからなかったのである。
写真の根幹はまず記録であると思っているので、バシャバシャ街を撮り歩く私など、心象風景云々などといっていてはカメラを持って家から一歩も出られなくなってしまう。
まず紛れもない事実として、この世にあるすべてのモノは写真に撮られるために存在しているわけではないということだ。
カメラを持てば表現者なんだと勘違いしている人たちが本当に多すぎる時代だった。
それは月例コンテストの写真を見ればよくわかる。
このブログに載せている街の写真は私が面白いと思ったモノしか載せていない、「それは街が面白い」と思っているわたし自身の気持のすべてである。
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2013年5月 8日 (水)
今年のゴールデンウイークは天気が良かったし、ハーバーランドにできた大型商業施設Umie(海へ)とアンパンマンミュージアムの効果もあったのか例年より人出が多かったような気がしましたな、仕事帰りに人が多かったのでそう思いました。
ゴールデンウイークなんて関係ない生活で、土日だけしか休みがないので近づきもしませんでしたが。
ターゲットが30代ぐらいの人たちだそうで、それぐらいの年齢のご夫婦ならアンパンマンを喜ぶ子供がいるでしょうし、出かけてみようかとも思うのでしょうが、オジサンが喜ぶようなモノはどうやらなさそうで、出かけてみても蚊帳の外、「海へ」放り出されるのがオチかも。
ほとぼりが冷めた頃にでも見学しに行くことにしますか。
ま、他の人たちが休んでいるときに働くというのは、チト悔しい気持ちもありますが、悪いことばかりとはいえないこともあるわけで。
まず朝の電車は余裕で座れるのでブログの文章書きができる。ネタ帳を広げてポメラでサクサク、降りる頃には二つぐらい書けてるのでいつものギュウギュウ電車で吊革につかまってじっと耐えているのと大違い。朝の時間を有効に使えて悔しいながらも充実感がありますな。
それと通勤の人たちがいないので、朝の街は閑散としていて写真を撮るのに好都合なのもありがたい、いつもなら車がビュンビュン通っている道路のど真ん中でカメラを構えて何も無い街を撮れるのもこの時期ならでは。
オフィス街はシャッター通り、観光地の南京町も人の気配が無く、ゴミ袋にカラスがたむろするゴーストタウン状態。
この時期にしか見ることができない街の表情を、少し早起きしてカメラ片手に撮り歩くのが毎年のスタイルになってしまっているのが、へんこオヤジのゴールデンウイークなわけです。
車一台通らない国道2号線
アンパンマンお疲れ様でした。
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2013年5月 7日 (火)
本屋の雑誌コーナーに行って感じたこと。なんと「大人の○○」が多いことか。
雑誌名であったり、特集記事のタイトルだったり。おとな、おとなとアピールしなければ今時は売れないのか。それにしても「大人」オンパレードで、これは逆に言えば「大人」が世の中にいないか、「大人」のめがねにかなうものが無くなってしまっているかのどちらかだろう。
大体、世の中に無いものが流行ったり人気が出たりするのは、今も昔も変わりはない、無いものねだりは永遠に終わりがないのだ。
貧しかった頃には、便利なものに囲まれた生活を夢見て、物質的に豊かになると今度は心を求めるようになる。
小さな頃、「栄養があるから食べなさい」とよく言われたが、栄養過多で肥満やメタボな人が増えてくると今度は「栄養が無いから食べなさい」と食べても太らないものがもてはやされる。
自分自身の写真生活を振り返ってみてもそう思う。
デジタル一眼レフを買ったときには、もうフィルムは終わったと思っていたのに、デジタルに不満を感じ出すと、ごそごそとフィルムカメラを引っ張り出してきて撮っている。
大きなフィルムの方が表現力があるからと、中判カメラで撮っていながら、今度はカメラが大きくて重いからと、ハーフサイズのカメラを持ち出している。
まったく持って優柔不断、本当に人間ってわがままですな。
大人のおもちゃ屋さんというのは独特の雰囲気がありますな。
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2013年5月 6日 (月)
建物を撮る時、どの角度が一番美しいかと考えると、真正面が一番美しいと密かに思っている。
それは以前、図面を描く仕事をしていたせいもあるのかも知れないが、図面の場合まず正面図というのを必ず描かなくてはならない。機械だろうが、建物だろうが正面から見た絵というのは必ず必要になってくる。それが顔になるからだ。
建築の図面を描いていた時には、その正面図のコピーをとって、さらにマーカーペンや水彩絵の具で陰影を付けて、立体的に見えるような絵にしたりもした。単なる平坦な図面が、陰影を付けることで、すごくリアルな完成予想図になるのが結構楽しかった思い出がある。
そういう経験が自分自身の撮る街の写真に少なからず影響を与えているのかも知れない。
学生の頃は50ミリの標準レンズしか持っていなかった。働くようになって広角レンズを買った。しかも一般的な28ミリではなくさらに広角の 24ミリを買ったのである。
そのころは24ミリは超広角レンズといわれていたと思う。とにかくその強烈なパースペクティブが気に入って、やたら遠近感を強調した写真を撮っていたような記憶がある。画角が広いのでいろんなものがいっぱい写し込めるのも気に入っていた。画面周辺が歪むのも、それを楽しんでいたような気がする。
いつしか街をほっつき歩いて写真を撮るようになって、広角レンズは絶対に手放せないものになった。しかし以前のように遠近感が欲しいとか多くのものを写し込みたいとかのの理由ではなく、狭い路地や、後ろに下がれない場所での撮影が多いための必然性からである。
できれば歪み無く真正面から撮りたいと思う。平坦になりがちな建物の正面に光が差し込んで、それが絶妙のスパイスになって立体感を出しているような景色が撮りたい。
建物や街の写真だけでなくこれはポートレイトや花の写真にも共通していえることなのではないかと思う。
街歩きをしていて、角を曲がったところで見つけた素晴らしい建物の真正面。
その存在感の前に、カメラを構える側の小手先のテクニックだのはもうどうでもいいことなのではないかとその場にしばし立ちつくしながらそう思う時がある。
国内で一番正面がカッコいい建物ではないかと密かに思っている銀座和光ビルの夜景。
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2013年5月 5日 (日)
市場の思い出というと、どうしても幼い頃のことを思い出す。母親の買い物に連れられて出かけた市場のことである。
狭い通路の両側にひしめくようにお店があって、はぐれないようにくっついて歩いていた。
どのお店もその店らしい雰囲気があって、魚屋さんのオヤジさんはいつもダミ声で安い魚の名前を連呼していて、ハエを追っ払うためのリボンの付いたゆるゆると回る棒きれのようなモノが天井から下がっていた。ハエ取り紙がぶら下がっていたところもあったし、虫を寄せ付けないように葉巻ぐらいの太さの線香のようなものが金属の受け台の上で煙を上げていたお店もあった。
豆腐屋さんのステンレス水槽の中にはパック入りではないむき出しの大きな豆腐が沈んでいて、奥からは油揚げを揚げる匂いがし、お味噌屋さんの木の樽にてんこ盛りされた味噌にはしゃもじが突き刺さっていて、乾物屋のおばちゃんが新聞紙を手巻き寿司の海苔のようにクルクルと丸めて、スコップですくったちりめんじゃこを包むのが手品のように見えた。記憶をたぐっていくといくらでも思い出せる。
どのお店もゴムひもの付いたカゴにお金を入れて上から吊してあって勘定や釣り銭はそれを引っ張って出し入れていたことも。レジスターなんてものはほとんど無かった。
果物屋さんの奥の棚にはメロンなどの値段の高い果物が飾ってあったこと、八百屋さんの大根は必ず葉っぱ付きが当たり前で売られていたこと、お米屋さんは木の升で量り売りしていたし、糠漬けに使う糠はただだった。うどん玉もそば玉もガラスケースから長い菜箸で取ってロウ引きの紙に包んでくれたこと、思い出せばきりがない。
そんな市場だったが、そのころの私にとって一番関心のあったお菓子屋さんの前だけは、母親は素通りした。他の店ではいちいち立ち止まるのにである。市場を出る頃、母親の買い物かごは大根や卵が顔をのぞかせ、いっぱいになっていた。今となっては遠い記憶である。
市場の思い出といえば、もう一つある。学生の頃、学校の帰りに肉屋さんのコロッケをほおばりながら帰ったことである。
ハンバーガーなどのファーストフードショップなどまだ少なく値段も高かったので、もっぱら市場の肉屋さんにお世話になった。揚げたてのコロッケが一つ30円ぐらい特売日は5円引きだったと思う。これなら少ない小遣いでも毎日食べられた、やたら腹の減る年頃である、実によく食べた。
コロッケだけでなく、串カツもあった。串カツといってもお好み焼き用の豚バラ肉を串に巻き付けるように刺して、衣で太らせて大きく見せているシロモノで、噛むと脂が染み出すものだったがこれも旨かった。
よく学校帰りの高校生達がファーストフードのフライドポテトなんかをほおばっている姿を見かけるが、あのころのコロッケも中身はジャガイモだけであった。若い頃というのはやたらイモを食うのかもしれない。
2009年、北九州市小倉旦過市場。若い時に何度か行ったことがあるが、今だ活気があって全然変わってなかったのが嬉しかった。
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2013年5月 4日 (土)
カメラバッグは好きなので、いろいろ使っているが、ショルダーバッグはどれもキャンバス地の軽いバッグだ。
重い機材を運ぶのに、車で移動するのなら別だが、私のように歩いてナンボの街撮りの場合、バッグが重いというのは、そのまま行動の負担になるのでなるべく軽く使い勝手のよいものを選んでいたら、キャンバス地、それもドンケのものばかりになってしまった。
ドンケのバッグに付いているインナークッションは、他社のものに比べて厚味が薄い感じがあるが、これで充分カメラとレンズを保護できる。最近の過保護なカメラバッグに比べると、頼りないように見えるかもしれないが、今まで長年ドンケを使ってきて一度もカメラ、レンズに支障がなかったので、これで充分なのだと思っている。
逆に、今時のクッション材ぎっしりのバッグに大いに疑問を感じる。大して機材が入らないのに、クッション材はたいそうで、そのためバッグ自体が大柄で重い。機材を入れる前からすでに重いというのでは写真を撮り歩く以前に疲れてしまうのではないか。
カメラ女子など女性でカメラを持つ人が多くなったせいもあって、女性を意識したおしゃれなカメラバッグがここ数年たくさんのメーカーから出ているが、見てくれに惑わされずバッグ選びは機材を入れてみて、決めなくてはならない。
バッグだけ持つと軽くても機材を入れたとたんに重く感じるバッグや思ったほど機材が入らないバッグがあるからだ。さらに今時の新素材を使ったバッグも要注意、大抵そこからダメになってくる。以前衝動買いしてしまったカメラバッグはポケットの口ゴムがひと夏でネトネトに、ナイロン素材とキャンバス地の縫製部分がキャンバス地が縮んでシワシワに、真鍮製だと思っていた金具は鉄製に塗装したものだったらしく、あっという間に錆び錆びになった。結構いい値段だったし、デザインもよかったのだが大ハズレだった。
バッグを買いに行くときは、一番よく使う機材一式を、今使っているバッグに詰めて行き、売り場でお目当てのバッグに詰めなおしてみて様子を見るとよい。大手量販店で詰め替えしやすいように折りたたみの台を置いてくれているところもある。服を買うとき何度も試着するようにカメラバッグも選んでいただきたいのだ。
お気に入りのバッグにインナークッションだけ入れてカメラバッグにしてしまうという手もある。今はたくさんのサイズと種類のものが販売されているので機材にあわせて選べるようになっている。
機材だけでなくそのほかのこまごましたものも収納できる余裕も欲しい。女性なら化粧品なども持ち歩くだろうからだ。
最後に全部詰め込んだバッグを持ってみて思ったより軽いと感じたらOK。重いと感じたり、まあ大丈夫かなと思った場合は他のバッグを試してみることをおすすめする。
重いと感じたバッグは論外だが、微妙に大丈夫かなと思ったバッグは一日持ち歩けばずっしり重みを感じてしまう。一日持ち歩いても最初のテンションを維持して撮り歩けるバッグでないと撮影が苦痛になってしまうからだ。
たかがカメラバッグだが奥は深い世界なのである。
元町商店街入口にある、高級ブランドバッグ店の看板。オジサンには縁もゆかりもありませんが、看板とショーウインドーがカッコいいのでつい撮ってしまいますな。この看板のモデルさんのようにカメラバッグも颯爽と持ち歩きたいものです。
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2013年5月 3日 (金)
大好きな写真家で世紀末のパリの街角を撮り続けたアジェ(ウジェーヌ・アジェ、 1857~1927年、フランスの写真家)の写真を見ていると、あの頃(十九世紀末から今世紀初め)のパリの街中に引きずり込まれるような気分になる。
もちろんあの頃のパリのことなど知らないし、パリそのものにも行ったことはないのだが、なぜかそんな気持ちになる写真なのだ。
もはや見ることのできなくなってしまったあの頃のパリの「街角」に引きつけられるのはそれがその時、その場所に存在したという紛れもない事実と、もう取り戻すことができないという気持ちとからではないかと思う。
失われた景色に郷愁を覚えるのは誰でもだろうが、それを一枚の写真で、存在していた証拠を突きつけられると取り戻せない景色だけでなく、時間に対しても同じ気持ちを思う。
アジェの写真は街角や路地裏のものが多い。もちろん行商人など街で生活する人たちを撮った写真もあるのだが、やはり彼の写真の素晴らしさ、本質は「街」そのものの写真だと思う、そしてその街角には人の気配が感じられない。
これは当時のカメラのフィルム感度が低く、長時間露光を必要としたため動きのあるものを写し撮れなかった技術的な限界のせいもあるが、それだけではないわけをアジェの写真からは感じる、それはアジェ自身が好んで人気のない場所を選んでいたのではないかということだ。
これは私自信も同じ感覚を持っている。もちろん周りに人がいても写真を撮りたいときには撮るのであるが、そうではなくて、自分が街に対してカメラを構えているときというのは、見ることに集中している瞬間である。そしてそれを楽しんでいるときでもある。
アジェの時代には今よりも遙かに大がかりな道具を持ち歩かなくてはならなかったし、カメラのセッティングにも儀式のような手順を踏まなくてはならなかっただろうから、なおさら見ることに対する「構え」があったかもしれない。そういうとき周りの人の気配は結構邪魔に感じて、被写体である街と、見る側であり撮影者でもある自分自身との関係だけになりたかったのではないだろうか。私自身がそうなのでアジェに対してもそう決めつけてしまうのかもしれないが、彼もカメラを据えて街を見ることがきっと楽しかったのだと思う。
街を撮りながらさまよい歩くことを始めてからかなりの年月が経ったし、この行為は自分にとってのライフワーク的な意味も感じている。それよりもまず、好きだから撮り続けるという気持ちが一番大きいのであるが、どんな街に出かけても街そのものに興味を持ちながら歩いているので写真を撮るのは楽しいし、興味は尽きない。
そうして撮った写真たちは、撮影者の意志とは関係なく、時間とともに記録という側面が大きな意味合いを持つようになる。タイムマシンでもない限り過去にさかのぼって写真を撮ることはできないからだ。
結局写真の根幹にあるものは記録なのだ。
写真による作品主義というものに興味が無いし、それの押しつけもまっぴらごめんなので、自分自身の目で見たものを信じていないような写真には何も感じない。
まず、見ること。これがすべてのはじまりだと思う。この当たり前のことが大切なのだということをアジェは100年以上も前に教えてくれている。
密かにアジェっぽいかな~などと思っている写真。原板はRAWデータ、モノクロ処理したもの。
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2013年5月 2日 (木)
長年写真を撮ってきて、経験上これは良かった、これで写真が楽しくなったというようなことは、どんどんこのブログでお伝えしていきたいと思っているので、しつこく何度も登場する場合があることを最初にお断りしておきたい。
で、少し前にも書いたが、またしても露出計の話である。
露出計といっても、定常光(その場の光の明るさ)を測る入射光露出計と反射光(写したい物に当たって反射した光の明るさ)を測る反射光露出計とがあるが、このブログで取り上げるのは定常光を測る入射光露出計である。
反射光を測るのならカメラ内蔵の露出計と大差ないことになってしまうので意味がない。
そうではなくてその場の光を測ることで正しく露出の判断が出来るようになれば、写真はいっそう楽しくなるということを言いたいので入射光露出計でないとだめなのだ。
たとえば、露出計を持っていればその場の光を測るので、カメラがどのような露出を示そうと気にならないし、測ってみれば分かるのだが、そんなにコロコロ光の強さは変わるものではない。
屋外なら日向と日陰の二カ所で測って、その値を覚えておけば後はそれに対して明るくするか暗くするかを自分で味付けしつつ撮り歩ける。
カメラの設定は当然マニュアルで。古いマニュアルしかないカメラや露出計が動かなくなっているカメラでも全く露出の不安無く撮ることが出来る。
露出計を使って撮った写真を見てみるとどのコマも露出がそろっていることが分かる。特にリバーサルフィルムで撮ってみるとそれを実感できること請け合い。
露出計を使うようになると、これぐらいの天気なら大体これぐらいの値を示すと言うことが分かってくる。たとえば、ISO感度100の場合晴れた日ならシャッタースピード250分の1秒で絞りF8半から11を示す。季節や場所に関係なく晴れの日はほぼ同じ。
天気の具合による違いや日陰での値を何パターンか覚えておくと、もし露出計が無くてもきちんと写真が撮れるようになるのだ。
露出計は地味な写真用品だが、長く写真を楽しみたいのなら持っていて絶対損はないと思う。ぜひ使ってみて下さい。
露出計を持っていると日なたと日影で測って、その中間の値プラスアルファというようなことを考えて撮る様になりますな。この場合日影でも地面の照り返しで意外と明るくて軒下が暗くつぶれずに撮れました。
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2013年5月 1日 (水)
喫茶店の看板で「純喫茶」と書かれているのがある。ならば「不純喫茶」はあるのかというとありましたな、「同伴喫茶」に「ノーパン喫茶」。
喫茶が目的ではないことがアリアリのいかがわしさぷんぷんの喫茶店。同伴喫茶は知らないが、ノーパン喫茶は一度だけ行ったことがあります。
学校を出て働き出した頃大流行して、ニュースでもよく取り上げられていましたな。
会社の近くにも何軒か急に出来て、話題になったのだが、職場の職人さんたちも興味津々のくせに、こういうとき案外度胸がなくて、行ってみたいが恥ずかしくて行けないヨ~というのに一番下っ端だった私は無理やり付き合わされたわけです。
ま、早い話が、自分の興味のカモフラージュに「キョービの若いモンに世の中を教えたる」という大義名分がオジサンたちには必要だったわけでしょうな。
で、ノーパン喫茶とはいかなる場所かというと、パンツ履いてないミニスカートのウエイトレスさんが注文した物を持ってきてくれるだけという、まことに分かりやすい喫茶店。
なぜだか床は鏡張り、お客は皆下を向いて床を眺めているという変なところ。通路を飲み物を運ぶウエイトレスが通る度に、「見えるっかナ~見えないっかナ~」なビミョ~なワクワク感を血まなこになって楽しむという仕組み。(笑)
私はというと必死になって床を眺めている職人さんを醒めた目で観察しながら、業務用紙パックから注いでチンしただけの旨くもないコーヒーをすすってました。
正味のハナシ、何も見えませんよ。
足早に通り過ぎるウエイトレスの下半身がハッキリ見えるとしたらよほどの動体視力がないと無理ちゃいまっか。
はっきり言いますケド、今思えばあんなモンに高いコーヒー代払ってアホちゃうかな喫茶店でしたな。
ドンドン過激になって、挙句の果ては警察の摘発であっという間に消えていったという、今となっては懐かしい昭和の風俗でした。
さすがにノーパン喫茶の写真はありません。代わりに廃墟喫茶店のショーウインドーに置き去りになった食品サンプルでお茶を濁させていただきます。
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