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2015年3月17日 (火)

有楽街で逢いましょう

阪神電車元町駅の改札を出てすぐの所にある有楽名店街という歓楽街が来年3月に無くなるという記事が神戸新聞3月13日に出ていた。
歓楽街の構造上火災発生時に利用客や店主の安全が確保できないことが理由のようで、お店の方々は営業継続を要望しているそうだが、防災上の理由を盾にされれば、この先継続は難しいと言わざるをえないのではないだろうか。
記事によると1947年に開業し、59年に有楽名店街という名称になったそうである。私が生まれるずっと前からあった歓楽街だとは記事を見るまで知らなかったが、地下にある小さな歓楽街で、知ってる人しか寄り付かないような昭和の香りぷんぷん、まるでタイムスリップしたかのような渋い飲み屋の集まる歓楽街、「ゆうらくめいてんがい」は長いのでいつも縮めて「有楽街」と呼んでいた。
この歓楽街について語るとき、寿海という居酒屋のことを忘れる訳にはいかない。東側の角にあった大箱の居酒屋である。
カウンター、テーブル、座敷席があって厨房も4人ぐらい、仲居さんも7~8人いたと思う。店の女将は自分の店だけでなく、この名店街も仕切っている名物女将で、お店の人からもお客からも慕われる人だった。
一人で飲み歩くようになった頃、ふらりと入ったこのお店の居心地がよくて、以来ちょくちょく寄っていた。
決してきれいな店ではなかったしエアコンの風の加減でトイレのションベン臭が漂うような、それでいながらなぜかホッとする、長屋の台所の延長のようなお店、500円玉で1枚で呑め、玉子を3個使ったようかん一本分ぐらいもある玉子焼きも旨かったし、酒がもう一杯余分に呑める、しっかり漬かった南蛮漬けは酒呑みのハートをガッチリつかんでいたし、とりあえずなんか食わして状態の空き腹に喰う焼きうどんは涙モノのオカンの味だったし。
有楽名店街自体が時代に取り残されて客の数が減りつつあったある日、寿海は突然無くなってしまった。
正確に言うと閉店後しばらくして規模を縮小して数件先の空き店舗で開店したのだが、あの大箱の店ではなくなって、こじんまりしたカウンターだけのいかにも小料理屋といった感じの店になってしまった。たくさんいた仲居のおばちゃん連中はいなくなったが、地響きのような笑い声の女将といつも厨房にいたプロレスラーのようなオカアサンが健在なのが嬉しく、顔なじみの常連も当たり前のようにいつも集っていた。
その後寿海はさらに数軒先に二度目の移転をし、どんどんこじんまりした店になっていき、高齢で足腰が弱ったのを理由にオカアサンが次の人にバトンタッチして引退。
新しい人で再スタートの日に名物女将が倒れ、数日後に亡くなってしまった。女将がいなくなっては店を続けられるはずもなく、寿海は酒呑みたちの記憶の彼方に永遠に消え去ってしまったのである。
女将の葬儀には、200人を越える参列者があったそうだ。酒飲みの世話をやき続けて亡くなった女将らしい話である。

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これが有楽名店街。阪神元町駅の東西改札を結ぶ連絡通路沿いに渋いお店がひしめき合う歓楽街。写真は寿海が最後の移転先で健在な時に撮ったもの。

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