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2015年1月17日 (土)

あの日から20年経ちました。

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今日は阪神淡路大震災から20年目、今年は各地で様々な式典やイベントが行われるようだ。テレビや新聞でも震災20年に関するニュースが多い。改めてあの地震を忘れるなということだ。
ネットで検索をかけると政府の中央防災会議が、首都圏直下で地震が起きた場合、どれぐらいの被害になるのか2013年に想定した結果がPDFやYouTubeで出てきたので見たのだが、冬の夕方18時に地震発生したとして、死者最大約23000人と算出していたが本当にこんな程度で済むのだろうか?
専門家や政治家は想像力がないのだろうか?ゼロがひとつ足りないような気がする、ちょっとばかり過小評価し過ぎではないのか。高層ビルも地下街や地下鉄もなかった1923年の関東大震災でも10万人死んでいるというのに。
本当に現代の首都圏で地震が起こったら、こんな程度ではとても済まないと思う。
あの地震の後、職場まで通うのに、ドミノ倒しの様に倒れたビルや、完全に天地が逆さまになって転がっているマンションなどの間をすり抜けながらスクーターで走った、その光景を見た上での被害想定に対する率直な感想である。
神戸という地方都市で、しかも明け方の人の少ない時間帯であの被害である。
まして、平日でも神戸の休日の繁華街より人が遙かに多い首都圏で、夕方に地震が起こったら、とてもじゃないがその程度の被害では済まないだろうことは子供でも想像がつくのではないか。
冬の夕方18時である、会社帰りのサラリーマンが、ちょっと一杯行こうかという時間帯である。飲食店でその時間に火を使っていない店なんて無いはずである。
ドーンと最初の揺れがきた瞬間、串カツ屋の親父は熱い油をかぶって、ガスの元栓を閉められるだろうか?
炭火焼鳥の店では、火のついた炭が厨房に散らばった上から食器棚の皿が降り注ぐ状況で、消火器を使えるのだろうか?
風俗店で遊ぶ客は、裸で飛び出すわけにも行くまい。
一階が大きなフロアのファミリーレストランなど、柱でしか支えていないビルは上の階が押しつぶす形で崩れるだろうから、全員圧死。
古い雑居ビルは、客を閉じこめたまま倒壊。山手線の古い高架はいたるところで崩落、脱出できないうちに火災発生。
生き延びられる可能性を想像することの方がむずかしいのではないか。
震災から20年たった今でも、ちょっと大きな揺れがあると、とっさに辺りを見回し、身構えてしまう。
政府の被害想定はあくまで机の上での話である。いつか来るその時、あなたはどうやって身を守りますか。

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