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2013年8月20日 (火)

好きな写真家2 春日昌昭

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どうしても一度まとまった数の写真を見てみたくて、ずっと頭の片隅にあった写真家がひとりいた、名前は春日昌昭。
この名前を聞いても知っている人はほとんどいないと思われるのだが、東京の街を撮り続けた写真家である。彼の写真を初めて見たのは、十年以上前、何かの写真雑誌の記事でだったと思う。たった一枚の写真に、同じように街の写真を撮る者としての「匂い」を感じたのである。その後、写真集など出ていないかと、色々探してみたのだが、まったく手がかり無く、ある写真評論の本の中でもう一枚見ることができただけであった。
ふと思い出すごとにインターネットなどで調べては見たのだが、あまりにもマイナーな、あまり表に出てこないタイプの写真家で、しかも四十代半ばで亡くなっていることもあり、プロフィールなどは調べられても彼の撮った写真は見ることができなかったのである。
ところが数年前、彼の写真が本になっているのを、偶然ネットで見つけた。
「オリンピックのころの東京」岩波書店、2002年12月20日発行、ISBN4-00-115354-8、定価1700円+税。
岩波フォト絵本という「写真がうつしだす時間と暮らしをテーマにした社会科絵本」のシリーズの中のひとつである。
まさか子供向けの本になっているとは思わなかった。文章は春日昌昭の友人で、街に関して結構うるさい本をたくさん書いている川本三郎氏である。
さっそく買って見たのだが、子供向けの本にしては、マニアックな内容なのはさておき、思った通り、街を見る目に関して、同じ周波数を持った人だと確認できた。
オリンピックで街の姿が大きく変わっていく東京を撮り続けたという点に関しては、近代化で様変わりするパリを撮ったアジェに通じるものがあると思うのだが、彼の場合、「僕の写したということ以上に、写っている事実が大切である写真」と言っているところに同じスタンスを感じるのだ。
街そのものの存在の前に、写真はどうあるべきか、この言葉が全てを語っている。この本を見ると、彼が看板に惹かれながら街をさまよい歩いたであろうことがよくわかる。
看板の写りこんだ写真が実に多いのだ。ある意味看板を求めてさまよい歩いたのではないかと思うぐらいである。
この時代は今以上に看板が多かったのかもしれないが、街の写真を撮る者にとって、看板は今という時代を語る大切なアイテムであることを彼の写真は強烈に教えてくれる。

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